2024年11月9日(土)

♪讃美歌21 404 あまつましみず

  『ラザロよ、出て来なさい』

「イエスは、再び心に憤りを覚えて、墓に来られた。墓は洞穴で、石でふさがれていた。 イエスが、「その石を取りのけなさい」と言われると、死んだラザロの姉妹マルタが、「主よ、四日もたっていますから、もうにおいます」と言った。 イエスは、「もし信じるなら、神の栄光が見られると、言っておいたではないか」と言われた。 人々が石を取りのけると、イエスは天を仰いで言われた。「父よ、わたしの願いを聞き入れてくださって感謝します。 わたしの願いをいつも聞いてくださることを、わたしは知っています。しかし、わたしがこう言うのは、周りにいる群衆のためです。あなたがわたしをお遣わしになったことを、彼らに信じさせるためです。」 こう言ってから、「ラザロ、出て来なさい」と大声で叫ばれた。 すると、死んでいた人が、手と足を布で巻かれたまま出て来た。顔は覆いで包まれていた。イエスは人々に、「ほどいてやって、行かせなさい」と言われた。」

(ヨハネによる福音書11章38節~44節)

43節の「ラザロよ、出て来なさい」を英訳すると‟Lazarus,come out.”です。

カミングアウトとは【隠していた自分の正体を明らかにする】【自分の本当の姿(性質)を自ら暴露する】という意味になりますが、43節のcome outにはcome out of the closetと、of the closetが省略されています。【閉じ込められている死の世界(クローゼット)=墓】から出て来なさい。打ち破って来なさい。と、イエス様はラザロに仰います。

私達が知らず知らずのうちに殻に閉じこもってしまうことがあります。イエス様はそんな私達に殻を打ち破って出て来なさいと声をかけてくださいます。そのお声に従うことができます様に。。。

今日はクリスマス祝会に向けての打ち合わせを行いました♪

待ちに待った降誕節。師走に向かっていきますが着々と準備を進めてまいります。

次回の予定 11月30日(土)

2024年9月14日(土)

♪讃美歌21 484 主われを愛す(文語訳)

  『キリストさん』

ステファノの事件をきっかけにして起こった迫害のために散らされた人々は、フェニキア、キプロス、アンティオキアまで行ったが、ユダヤ人以外のだれにも御言葉を語らなかった。 しかし、彼らの中にキプロス島やキレネから来た者がいて、アンティオキアへ行き、ギリシア語を話す人々にも語りかけ、主イエスについて福音を告げ知らせた。 主がこの人々を助けられたので、信じて主に立ち帰った者の数は多かった。 このうわさがエルサレムにある教会にも聞こえてきたので、教会はバルナバをアンティオキアへ行くように派遣した。 バルナバはそこに到着すると、神の恵みが与えられた有様を見て喜び、そして、固い決意をもって主から離れることのないようにと、皆に勧めた。 バルナバは立派な人物で、聖霊と信仰とに満ちていたからである。こうして、多くの人が主へと導かれた。 それから、バルナバはサウロを捜しにタルソスへ行き、 見つけ出してアンティオキアに連れ帰った。二人は、丸一年の間そこの教会に一緒にいて多くの人を教えた。このアンティオキアで、弟子たちが初めてキリスト者と呼ばれるようになったのである。」

(使徒言行録11章19節~26節)

ステファノが殉職した事件後、ギリシャ語を話すユダヤ人キリスト者達が迫害されました。散らされた人々はギリシャ語を話す人々にも語りかけ、キリスト教が民族宗教から世界宗教に飛び立っていくきっかけになりました。

聖霊と信仰に満ちていたバルナバはサウロ(=パウロ)をアンティオキア教会に連れ帰り、多くの人を教えました。後に、パウロは3回の伝道旅行をアンティオキア教会から支援され、送り出されています。アンティオキア教会が懐の深い教会だということが伝わります。

この教会で初めて「キリスト者(クリスティアノ)」と呼ばれるようになってから、今の私達につながっています。

今日は賛美タイム♪

  • 「君は愛されるため生まれた」
  • 「御手のなかで」
  • 「わが神わが主よ」

以前いた教会の幼稚園であった教会学校で【君は愛されるため生まれた】を、みんなが楽しく歌っていたのと、去年、如鷲教会のコンサートで森裕理さんがこの曲を歌っておられて 私も愛されるため生まれた いいのかな、本当に嬉しいと思ったので選びました

この曲をクリスマス祝会にうたう1曲にしようかという話になりました

みんなで歌うと心に染み楽しいです

集会後には1年に一度のカーテン掃除も無事に終わりました(佐藤K)

次回の予定 10月12日(土)

2024年8月10日(土)

♪讃美歌21 459 飼い主わが主よ

  『アンナ・カレーニナ』

「愛する人たち、自分で復讐せず、神の怒りに任せなさい。「『復讐はわたしのすること、わたしが報復する』と主は言われる」と書いてあります。 」

(ローマの信徒への手紙12章19節)

「悪魔にすきを与えてはなりません。 」

(エフェソの信徒への手紙 4章27節)

「神の怒りに任せなさい」とは「«心に»その場所をあけなさい」と言っています。

怒り、憤り、復讐心、悲しみなどの感情で心を満たすのではなく、心のどこかを空けておきなさい。

神様の怒りのために。神様が怒ってくださるから。。。

信仰生活に置き換えると、今まで自分のものだと思っていたモノを少しづつ神様のために場所をあけることも大事なことなのだと思います。つまり、悪魔にすきを与えてはいけません

私達が神様のために大切な宝物をあけわたすことができますように。。。

今日は「光を透かす折り紙」を折ってオーナメントを作りました。

これは冬が長い北欧などで盛んで、ステンドグラスのように窓に貼ったり、つり下げるなどして楽しむものです。

同じ形でも、選ぶ色によって雰囲気がガラッと変わったり、折り方によってサイズが変わったり、人それぞれステキな作品ができました。

おしゃべりしながら作業をする平和な時間を過ごせました。(波多野)

次回の予定 9月14日(土)

2024年7月20日(土)

♪讃美歌21 472 朝ごとに主は

  『あなたがたの内に』

「キリストの言葉があなたがたの内に豊かに宿るようにしなさい。知恵を尽くして互いに教え、諭し合い、詩編と賛歌と霊的な歌により、感謝して心から神をほめたたえなさい。 そして、何を話すにせよ、行うにせよ、すべてを主イエスの名によって行い、イエスによって、父である神に感謝しなさい。」

(コロサイの信徒への手紙3章16節~17節)

「人間の言い伝えにすぎない哲学、つまり、むなしいだまし事によって人のとりこにされないように気をつけなさい。それは、世を支配する霊に従っており、キリストに従うものではありません。」

(コロサイの信徒への手紙 2章8節)

この箇所はパウロがコロサイの教会にあてた手紙です。当時、巡回教師の中に間違った教えを広める教師が現れました。

パウロは「あの偽教師を警戒しなさい」とか「あの偽教師を追い出しなさい」というのではなく、「キリストの言葉があなたがたの内に豊かに宿るようにしなさい」と言いました。

イエス様がお語りになった言葉、イエス様が語らせる言葉を

あなたがた一人一人の内に、そして教会の交わりの内に宿るようにしなさい。。。

これは私達にも大事なことではないでしょうか。

今日は【ナマケモノのいる森で】という 仕掛け絵本の紹介をしました。

小さな生き物たちを探しながら楽しみつつ、自然破壊をするのもヒト、そして種を蒔き再生するのもヒトなんだな~と

神様が創られたこの世界、大事にしたいです。(福元)

次回の予定 8月10日(土)

2024年6月22日(土)

♪讃美歌21 464 ほめたたえよう

  『キリストのために苦しむことも』

「つまり、あなたがたには、キリストを信じることだけでなく、キリストのために苦しむことも、恵みとして与えられているのです。 」

(フィリピの信徒への手紙 1章29節)

昨年の中高生キャンプに参加したとある姉妹。その姉妹がフリートークで学校のことを話しました。

仲のいい友達に教会のことやイエス様のことを話したらドン引きされてショックを受けたそうです。

今の日本で、中高生が洗礼を受けて教会生活をしていることは当たり前のことではありません

良かれと思って言ったことがドン引きされて、とても悲しかったと思います。

私たち教会員はクリスチャンの子どもたちが、その当たり前ではない生活をしていることをちゃんと受け止めて、いろんな形でサポートをしてあげる必要があるんじゃないでしょうか。

この社会の中で信仰を守って教会生活をしていくことがとても大変であり、とても大切です。キリストのために苦しむことも、恵みとして与えられています。

その姉妹の今後の教会生活を祈っています。

今日のオリーブの会は絵手紙をしました。

絵手紙は絵や字を競うわけではなく、あくまでも手紙であるということでまず出す相手を決めて自分と相手との関係に喜びをもたらすように書きました。

それと絵を描いてもなかなか言葉が出てこないといいます。そのような時、相手のことを考えます。

新約聖書もほとんどが手紙の集まりです。祈りに近いものだと思います。(片岡)

次回の予定 7月20日(土)

2024年5月18日(土)

♪讃美歌21 55 人となりたる神のことば

  『 ペトロ 』

話し終わったとき、シモンに、「沖に漕ぎ出して網を下ろし、漁をしなさい」と言われた。シモンは、「先生、わたしたちは、夜通し苦労しましたが、何もとれませんでした。しかし、お言葉ですから、網を降ろしてみましょう」と答えた。

(ルカによる福音書5章4節~5節)

すると、ペトロが答えた。「主よ、あなたでしたら、わたしに命令して、水の上を歩いてそちらに行かせてください。」イエスが「来なさい」と言われたので、ペトロは船から降りて水の上を歩き、イエスの方へ進んだ。

(マタイによる福音書14章28節~29節)

イエス様の一番弟子ペトロ(シモン)。

夜が明けてから網を降ろしても魚が取れない事や、水の上を人が歩くことができない事など、私達は経験上知っていることがあります。

しかしペトロはそんな経験の土俵から一歩踏み出し、『おことばですから~』とか『水の上を歩いてそちらに行かせてください。』といえる人でした。

信仰の世界とは経験だけではありません。

『あなたのことばの故に~』と。。。もう一度やってみなさい。私ともう一度やってみないか。と、イエス様は私達に約束を語りかけています。

今日はゴスペルの紹介をします(黒田)

♪God is here(神様はここにいる)

とても聞きやすいバラードです。後半の盛り上がりかたもゴスペルらしくきれいにまとまっています。

(訳)神様がここにいる 今ここにいる 希望のないものを癒し 壊れた心を治してくれる

He is here ,  God is here,,,,

♪Whatcha lookin’ 4 (何をさがしているの?)

カーク・フランクリンの代表的なゴスペルソングです。

Hip Hopやスラング、手ぶりなどを交えて若者向けに伝えています。

(訳)何を探しているの?あなたが探しているのは私だ これ以上探さなくていいんだよ

平和と喜びを与えよう 人生が幸せで満たされるのさ

見えないのかい? あなたが探しているのは私だ

I’m the one your lookin’ 4,,,,

次回の予定 6月22日(土)

2024年4月13日(土)

♪讃美歌21 575 球根の中には

  『 婦人たち、奉仕する 』

すぐその後、イエスは神の国を宣べ伝え、その福音を告げ知らせながら、町や村を巡って旅を続けられた。十二人も一緒だった。悪霊を追い出していただいたマグダラの女と呼ばれるマリア、ヘロデの家令クザの妻ヨハナ、それにスサンナ、そのほか多くの婦人たちも一緒であった。彼女たちは、自分の持ち物を出し合って、一行に奉仕していた。

(ルカによる福音書8章1節~3節)

ところが、仲間の婦人たちがわたしたちを驚かせました。婦人たちは朝早く墓へ行きましたが、遺体を見つけずに戻って来ました。そして、天使たちが現れ、『イエスは生きておられる』と告げたというのです。

(ルカによる福音書24章22節~23節)

キリスト復活の最初の証人は婦人たちです。

天使が「あの方は、ここにはおられない。復活なさったのだ。」という事実に対して婦人たちは「主は生きておられる」と現在形に置き換え、福音の言葉としてとらえ伝えています。

また、婦人たちは男性弟子たちよりもイエス様の体ごと愛し、男性弟子たちを支え続けました。

女性の強い信仰と働きがそこにあります。

今日はイースターエッグ作りを行いました。

ゆでたまごに専用のラッピングを通し、お湯にサッとくぐらせるだけで簡単に出来上がります。

大きな卵、小さな卵、ひび割れちゃった卵など、一つとして同じものはありません。

翌日の教会学校では子供たちにたくさん配ることができました。 感謝(黒田)

次回の予定 5月18日(土)

2024年1月13日(土)

  『 食卓の下の子犬 』

「まず、子供たちに十分食べさせなければならない。子供たちのパンを取って、子犬にやってはいけない。」

(マルコによる福音書7章24節~30節)

ティルスの地方に行かれたイエスさまは、そこで一人の女性と出会います。

女性は幼い娘を救ってもらうために、イエスさまの足もとにずっとひれ伏していました。

そこでイエスさまは、女性に謎かけのような言葉をおかけになります。

それに対して女性は「主よ」と呼びかけました。弟子たちでさえもイエスさまを「ラビ」「先生」と呼んでいたのですが、この異邦人の女性は「私の主」としてイエスさまを呼びます。

女性の「食卓の下の子犬も、子供のパン屑はいただきます。」という言葉にイエスさまは「それほど言うなら、よろしい」と言われました。聖書協会共同訳では「その言葉で十分である」と訳されています。

異邦人の女性の信仰によって、その娘も助かります。

この女性のように、ひれ伏さなければ聞き取れないみことばがあると思います。

ひれ伏すことで聴くことが出来るメッセージがあるのではないでしょうか。

今月の本の紹介

『 わが盲想 』 モハメド・オマル・アブディン  (ポプラ社)

現在、東洋大学の客員研究員であるモハメドさんは、1998年にスーダンから来日し、福井県立盲学校で学びました。そこで出会った日本の文化や食べ物、福井弁のことなど、目が見えないモハメドさんならではの感性で、ユーモアたっぷりに描かれています。

彼を支えてくれた個性豊かな人たちのことやカルチャーショック、結婚までのいきさつや東日本大震災の恐怖体験など、彼の心の目で見た日本、そして福井のことが興味深く、あたたかく描かれている本です。

次回の予定   2月10日(土)