2020年12月5日(土)

「 何も知らない人々のために 」

「人はみな眠り 気づかぬまに めぐみの賜物 天よりくる 」 

(讃美歌21ー267 3節)

今週の教会学校では、クリスマスイブって何?という話をしました。

クリスマスイブというのは、「クリスマスの夜」ということで「12月24日の夜から25日の夜明け前」のことです。

イエスさまがお生まれになったのは、人々が寝静まった夜更けでした。誰も知らない間に、キリストはお生まれになったのです。夜通し、羊の群れの番をしていた羊飼いと、3人の博士だけが、そのことを知らされました。羊飼いは身分が低く、人々にさげすまれていたし、博士たちは聖書のことを知らない異邦人でした。彼らは救いの中に入れないと思われていた人たちでした。

クリスマスの恵みは、世の中の人々を否定しません。何も知らない人々を否定せず、この人たちのためにも救い主は生まれて下さったのです。

クリスマスケーキやチキンのことしか知らない人たちのためにもイエスさまは生まれて下さり、救いを与えて下さるのです。食べ物の恵みと共に、クリスマスの喜びが心にあふれ、みんなのためにイエスさまが生まれて下さった喜びが、多くの人々に伝わることを願っています。

今月の本の紹介

『 サンタクロースっているんでしょうか? 』 (偕成社)

この本は、アメリカの8歳の女の子バージニアの質問に、ニューヨーク・サン新聞の記者が社説の中で答えたものです。

「 サンタクロースをみた人はいません。けれども、それはサンタクロースがいないというしょうめいにはならないのです。この世界でいちばんたしかなこと、それは子どもの目にもおとなの目にもみえないものなのですから。 」

100年以上も前に書かれたこの文章は、今もなお、私たちの心を打つものがあります。

次回の予定     1月28日(木)

2020年11月19日(土)

「 子どもを祝福する 」

「子供たちを来させなさい。わたしのところに来るのを妨げてはならない。」

(マタイによる福音書19章13~15節)

今日は、栄冠幼稚園の幼児祝福式がありました。年長さんが祝福を受け、保護者の方も付き添いました。礼拝堂で行うのは初めてです。先生方から、教会の礼拝堂でやりたいという要望がありました。年長の子供たちは白いガウンを着て、それにステンドグラスの色が映ってきれいでした。年長さんたちの誇らしい気持ちと、それを見ていた年中さんたちの羨ましい気持ちがよく伝わってきました。

イエスさまの所へ子供たちを連れて来た人々を、弟子たちは叱りました。子供たちがうるさいからでしょうか。教会の中でも、このように思う人はいるかも知れません。

イエスさまは「天の国はこのような者たちのものである。」と言われ、子供たちに手を置いて祝福されました。

聖書の語るメッセージが、子供たちにも先生方にも伝わっていき、のびのびとしたキリスト教幼稚園として、これからも良い働きをしていくことを願っています。

今月の本の紹介

『 最初の質問 』 ( 講談社 )                                              詩  長田弘  絵  いせひでこ

「 今日あなたは空を見上げましたか。」

「 あなたにとって、いい一日とはどんな一日ですか。 」

「 うつくしいと、あなたがためらわず言えるものは何ですか。 」

美しい絵と共に、一つ一つの質問を投げかけられながら、心の中で、答えを探す思いが、どんどん深くなっていきます。その問いは深すぎて、すぐには言葉が見つかりません。

「 問いと答えと、いまあなたにとって必要なのはどっちですか。 」

「 あなたは 言葉を信じていますか。 」

次回の予定      12月5日(土)

2020年10月17日(土)

「 成長させて下さる神様 」

「わたしは植え、アポロは水を注いだ。しかし、成長させてくださったのは神です。」

(コリントの信徒への手紙Ⅰ3章6節)

先日、栄冠幼稚園の創立114周年の記念礼拝で、この聖書の話をしました。

コリントの教会の中で分派が起こってきました。パウロが基礎を作り、アポロという雄弁な教師がやって来ました。その他にも何人もの教師がいて、その中でどの教師に付くか分派が出てきました。パウロはそれらのことを諭すようにして書いています。

他の場所で発芽した苗が、教会という苗床に植えられました。草取りや水やりなど、何人もの人が働きましたが「成長させて下さったのは神です」

幼稚園にも多くの先生がいますが、子供たちを成長させて下さるのは神様です。人の働きに感謝することは出来ます。しかし、その背後にある神様の働きに心を留めることは大事なことです。

今日は、幼稚園の運動会がありました。先生方もいきいきと働いていました。その背後にある神様の愛が、保護者の皆さんにも届いたのではないかと思いました。それは、キリスト教幼稚園の願いです。

今月の本の紹介

今回は「プラスチック・フリー生活」(NHK出版)「ゼロ・ウエイスト・ホーム」(TKC中央出版)の2冊の本を紹介して頂きました。

日本では、レジ袋の有料化など始まったばかりですが、海洋プラスチック問題を初めプラごみからくる環境や人体への影響の問題は、世界共通の課題です。海鳥や他の生き物のお腹から沢山のポリ袋やプラスチック片などが見つかったという話は最近よく聞かれますが、このままでいくと、いずれ海の中の魚の数よりもプラごみの量の方が多くなることが予測されているそうです。

また多くの人が利用しているペットボトルや、 コンビニ、スーパーのお弁当の容器などが溶け出してしまうことによって、環境や人体への悪影響があること、歯磨き粉や洗顔料の中にもスクラブなどのマイクロプラスチックの粒子が含まれているものがあることなど、私たちが知らないことが多くあります。

私たちが出来ることは、それらのプラごみを少しでも減らすことが出来るように、生活の中で小さな努力を重ねていくことだと思います。

次回の予定     11月19日(木)

2020年9月10日(木)

「 教会という羊の群れ 」

「わたしたちは主のもの、その民 主に養われる羊の群れ。」

(詩編100編3節)

羊という動物は力が弱く、自分を守ることが出来ません。人から守ってもらう一方です。道に迷っても、自分で道を捜すことはなく、前にいる仲間の後をついて行く習性があります。そんな弱い羊ですが、すごい力を持っています。自分を養ってくれる羊飼いの声を聞き分けることが出来るのです。

ヨハネによる福音書10章16節では、羊が「わたしの声を聞き分ける」と言っています。他の人の声と、自分の飼い主の声を聞き分けることが出来るのです。

聖書には「羊」「羊飼い」「群れ」という言葉がたくさん出て来ます。

何匹かの羊がたまたま群れているのを「群れ」とは言いません。一人の羊飼いに養われているものを「群れ」と呼びます。私たち教会の「群れ」は、一人一人の居場所というだけでなく、私たちの存在全部を受け入れて頂き、群れの一人一人がかけがえのない存在として愛されている場所です。

イエスさまという一人の羊飼いが、私たち羊の群れを命をかけて愛し、導いて下さっている。それが教会の大事なところです。

今日は ゴスペルソングを2曲紹介して頂きました。

①「  IT’S GONNA RAIN 」(雨になりそう)

この曲は、雨が降って来て、ノアの箱舟に入る前の人々の様子を、4つのパートに分かれて歌った曲です。洪水という、命にかかわるたいへんな状況を、あまり重苦しくない軽いテンポで歌っています。

「YOU BETTER RUN IN THE ARK BEFORE THE RAIN STARTS」

(雨が降る前に、急いで箱舟に走りこめ)

②「 MELODIES FROM HEAVEN 」

こちらも、しっとりとした雨の歌です。

「MELODIES FROM HEAVEN RAIN DOWN ON ME」

(天からの 美しい旋律が 雨のように 私の上に 降り注いで下さい)

この日は雨の日だったので、雨がテーマの歌を紹介して頂きました。

雨降りの日に聴いて、神様に思いをはせるのもいいですね。

次回の予定     10月17日(土)

2020年8月22日(土)

「 世に属さない者 」

「あなたがたには世で苦難がある。しかし、勇気を出しなさい。わたしは既に世に勝っている。」

(ヨハネによる福音書16章33節)

今日の御言葉は、ヨハネによる福音書13章の初めから17章の終わりまでの、イエスさまの長い説教の中の一つの御言葉です。イエスさまが十字架につけられる前の、最後の晩餐の後の決別説教という大事なところです。

イエスさまは弟子たちに、これから あなたがたには苦難があるということをはっきり言われます。それは弟子たちが「世に属していない者」だからです。

17章14節でイエスさまは「わたしが世に属していないように、彼らも世に属していないからです。」と言われています。イエスさまの御言葉によって弟子たちは「世に属する者」ではないのです。この世では苦難があるが、イエスさまはすでに世に勝っていて下さる。これは私たちにとって大きな慰めと励ましです。

私たちは、いつの間にか世の人間と同じようになってはいないだろうか。世に属する者となっていないだろうか。そのことを常に自覚しなければなりません。

私たちは何を大切にして生きるか。私たちは日々、御言葉を聴いて生きています。

それによって、世の人間には属さない「真理に属する者」となっています。

今日のこの御言葉が、励まし、慰めとなり勇気となるように歩んで行きたいです。

今月の本の紹介

今日は、詩人の河野進さんの詩を紹介しました。河野進さんは、岡山の玉島教会の牧師でしたが、ハンセン病の療養所である長島愛生園の礼拝奉仕や、保育園の園長として子どもたちを愛し、その中から多くの詩が生まれました。信仰の詩はもちろん、いきいきした子どもたちの姿や、病弱だったお母さんの思い出、その他 多くの心に残る詩があります。

「 慰め 」

深い悲しみにおそわれても   豊かな慰めはかけよる

明るい朝をむかえない    暗い夜はなく

暖かい春を呼ばない 冷たい冬はない

またたくまの悲しみよ    祈りの焔に加えよ

主の聖霊が励ましていて下さる

「 呼吸 」

どのような苦難を 吸っても

はく息は 希望で ありますように

一呼吸も 主イエスさまの  お恵みですから

( 詩集 「母よ、幸せにしてあげる」より )

次回の予定     9月10日(木)

2020年7月18日(土)

「 破れから ほとばしる神の恵み 」

「 あなたの神はわたしの神 」

(ルツ記1章16節)

モアブという異邦の地で、夫と二人の息子を亡くしたナオミは、二人の若い嫁をモアブに残して、故郷のベツレヘムに帰ろうとします。しかし嫁であるルツは、ナオミと共にベツレヘムへ行くことを選びます。その時にルツがナオミに言った言葉が「あなたの神はわたしの神」です。それはモアブの女性であるルツが、ナオミの信じるイスラエルの聖書の神を信じるということです。

ナオミは優しい姑だったかも知れませんが、模範的な人ではありませんでした。

弱音を吐いたり泣き言も言いました。しかしその破れ目から、ナオミの信仰が見えていたのです。ナオミの人生を支える神の恵みや励ましがルツには見えていました。

私たちの周囲の人にも案外見えているかも知れません。私たちの弱さや欠点、そんな破れからほとばしる神の恵みが、私たちの周りにいる信仰の違う人たちにも伝わっていくことがあるかも知れません。

生きて働いて下さる神様の力はすばらしいです。

今回は 朝日新聞の「 窓 2020 」から 『 机の上「どうぞ」の輪 』という記事を紹介しました。(6月29日)

「 どうぞのいす 」という絵本がありますが、そんな出来事が実際に起こった話です。北九州のある教会に、知人から沢山のパンが届きました。

牧師のTさんが教会の玄関先に、パンを並べたテーブルを出し「ご自由にお持ち帰りください」と貼り紙をしました。2日後、今度は新鮮なタケノコを友人からもらったTさんは、数本をそのテーブルに置きました。するとその夕方、テーブルには沢山の新タマネギが置かれていたのです。Tさんがそのテーブルを「どうぞのつくえ」と名付けると、教会の信者の皆さんが手元にあった缶詰めやインスタントラーメン、ノートなどをテーブルに載せてくれました。それからは、日持ちのする食品や洗剤、お米や手作りマスクなども、「どうぞ」と置いて行く人がいて、「ありがとう」と受け取って行く人がいました。そんな小さな善意と感謝の交換を、テーブルにいるマスクをつけたクマのぬいぐるみがいつも見ています。コロナ禍で人間同士は触れ合えなくても、あたたかい心のつながりを感じたお話です。

次回の予定      8月22日(土)

2020年6月27日(土)

「 『加える』と『添える』 」

「何よりもまず、神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、これらのものはみな加えて与えられる。」

(マタイによる福音書6章31~33節)

「これらのもの」というのは、「何を食べようか」「何を飲もうか」「何を着ようか」というような、生活に必要な「衣食住」に関する物のことです。

現在使われている新共同訳聖書では「これらのものはみな加えて与えられる」と訳されていますが、以前の口語訳聖書では「加えて」という言葉を「添えて」と訳しています。

「加える」と「添える」の言葉の違いは何でしょうか?

「美しい衣装が、舞台の演技に花を添える」と言った場合「衣装」と「演技」は同格ではなく、演技が主で、衣装はそれを引き立てるものです。それに対して、「加える」という言葉は両方のものが同格になってしまいます。「神の国と神の義」と「衣食住」が同格のものになってしまうのです。

現在使われている新共同訳聖書が世に出された1980年代は、社会や価値観の多様化ということが言われるようになった時代です。家庭や子どもの主体性や自由に任せるという価値観が大きくなり、教会学校の生徒も減少したようです。

最近新しく出された聖書協会共同訳の聖書では「これらのものはみな添えて与えられる」と訳されています。

今 この時代、本当に大切なもの、優先しなければならないものが求められている、そんな価値観に変わってきていると思います。

皆さんにとって、それは何でしょうか?

今月の本の紹介

「 神話的時間 」   鶴見俊輔 著     ( 熊本子どもの本の研究会 )

かつて人間は、文字の無い、今とは全く違った時間の流れの中で暮らしていました。現代の社会の中で生活している私たちは、ふとした時、そんな時間や空間の中に入り込むことがあります。そのような時間を、哲学者の鶴見俊輔さんは「神話的時間」と呼んでいます。

自分の死を前にする時、また親しい人の死に会う時にも神話的時間は戻ってくる。

幼い子と向き合っている時や自然の中にいる時、動物と無心に過ごす時にも。

人それぞれ、そんな神話的時間を生きることがあります。

神話的時間を生きた作家として、鶴見さんは、ハンセン病の療養所の医師だった神谷美恵子さんや「100万回生きたねこ」を書いた佐野洋子さんを紹介しています。

彼女たちの体験した神話的時間が不思議な力となり、不思議な童話を書かせたり、人への偏見が無い生き方をするようになったということ、そして彼女たちとの出会いが自分にとっての神話的時間だったと鶴見さんは語っています。

次回の予定    7月18日(土)

2020年5月30日(土)

「 教会に集まるということ 」

「すべてはあなたがたを造り上げるためにすべきです。」

(コリントの信徒への手紙Ⅱ14章26節)

先月はこの会も休会となり、集まることが出来ませんでした。長く休んでいると、集まることが大事だということを思わされます。

教会の大きな特長は、皆が集まることです。教会という言葉の元になっている「エクレーシア」という言葉は「呼び集められた者たち」という意味です。それぞれが自分の名前を呼ばれて集められた群れが教会です。

新型コロナウイルスの拡大が深刻になり、教団からの注意喚起もされました。多くの教会が礼拝を休むことを余儀なくされました。オンライン礼拝を行っていた教会もありました。集まることをやめてしまうと、教会そのものが求心力を失い、霊的な力がそぎおとされてしまうという危険性があると思います。この教会も出席者が少なくなり、どうしようかと思った時期もありましたが、何とか休まずに礼拝を守ることが出来ました。それは教会に来ることが出来ない人にとっても、支えになったのではないかと思います。今日は少人数でしたが、集まることが出来て良かったです。

「すべてはあなたがたを造り上げるためにすべきです」という今日の御言葉を覚えて、今回示されてきたことを、これからの歩みに地道に生かしていきたいです。

今月の本の紹介

『 ねこの看護師 ラディ 』 (講談社)

文 渕上サトリーノ   絵 上杉忠弘

これは 実話に基づいた絵本です。こねこのラディが動物保護施設に連れて来られた時には、もう死ぬのを待っているだけのように見えました、

しかし3ヶ月後、ラディはまるで奇跡のように元気になりました。

やがてラディは、傷ついた動物たちが運びこまれて来るたび、そのそばにまるで看護師のように寄り添うようになりました。

「ラディは ふしぎなねこです。病気をなおせるわけではありません。でも そこにいるだけで おだやかな空気が 動物たちをつつむのです。」

こんなラディの姿は、私たち人間の心もいやしてくれます。

次回の予定      6月27日(土)

2020年3月21日(土)

「 見えないものを見る 」

「わたしたちは見えるものではなく、見えないものに目を注ぎます。

(コリントの信徒への手紙Ⅱ4章18節)

「見えないものに目を注ぐ」とは、じっと見つめることによって、その背後にある物事に心を留めるということです。イエスさまは「空の鳥をよく見なさい」と言われます。

じっと見つめなさい。そして その背後にある方に目を向けなさい。真実であり、命を下さる方に心を留めなさいと言われています。

ヘブライ人への手紙11章には「信仰とは、見えない事実を確認することです。」と書かれています。

出エジプト記14章では、荒野でエジプト軍に追われていたイスラエルの人々が モーセに向かって不満を言った時、モーセは言いました。「恐れてはならない。落ち着いて、今日、あなたたちのために行われる主の救いを見なさい。主があなたたちのために戦われる。あなたたちは静かにしていなさい。」多くの人が動揺していた時も、モーセは見えないもの、主の御心に目を向けていたのです。

列王記下6章では、軍隊が町を包囲している時にも、エリシャには 火の馬と戦車が彼を囲んで山に満ちているのが見えていました。

礼拝出席や献金などが少なくなっていることがよく言われますが、無いものをマイナスに考えるだけではなく、一人一人が礼拝者として立っていることを喜んでいいと思います。人生の最後に、何も無くなったところで透けて見える 礼拝者としての姿があります。今見えるものが これしか無いというのではなく、その背後にある 見えない神様の力を信じていきたいです。

今月の本の紹介

『 ベルナルさんの ぼうし 』  ( いまい あやの )  BⅬ出版

くまのベルナルさんは いつもひとりぼっちです。ある日、ベルナルさんのぼうしにキツツキが穴をあけて 巣を作りました。ほかの鳥たちもやって来ます。すると、ぼうしに ふしぎなことがおこりました!  絵もかわいくて ふしぎな絵本です。

2020年2月15日(土)

「 キリストの真実 」

「イエス・キリストを信じることにより、信じる者すべてに与えられる神の義です。 」

(ローマの信徒への手紙3章22節)

今日の聖書は「信じる者すべてに与えられる神の義」について書かれています。

新共同訳聖書では「イエス・キリストを信じることにより」と書いてありますが、新しく出された聖書協会共同訳の聖書を見ると「イエス・キリストの真実によって」と訳されています。「イエス・キリストを信じることにより」というのは人間の側が主体となりますが「イエス・キリストの真実によって」という表現になると、主体はイエス・キリストになっていて、イエスさまが私たち人間を信頼して下さることによってという客観的な意味となります。

私たちの信仰は主観的になってしまいがちですが、客観的信仰を大切にしなければなりません。主観的だと、他の人の信仰に対して批判的になってしまうことが多くあります。客観的信仰とは、神様が私たちを信頼し、とらえて下さることを信じることです。

ヨハネによる福音書15章でイエスさまは「わたしにつながっていなさい。」と言われ、さらに「わたしもあなたがたにつながっている。」と言われます。

教会に、イエスさまにつながれない時期が誰にでもあります。

どんな時でも、いつも私たちにつながっていて下さるイエス・キリストの真実を大事にして歩んで行きたいです。

今月の本の紹介

『 雪渡り 』   宮沢賢治

「 堅雪かんこ、しみ雪しんこ。」

雪がすっかりこおったある日、四郎とかん子は 小ぎつねの紺三郎と出会いました。

キック、キック、トントン。キック、キック、トントン。

そして二人は、きつね小学校の幻灯会に招かれます。小ぎつねたちとの 心あたたまる交流を描いた物語です。

次回の予定      3月21日(土)

2020年1月23日(木)

「 礼拝者として生きること 」

「彼らは更にまさった故郷、すなわち天の故郷を熱望していたのです。」 

(ヘブライ人への手紙11章13~16節)

長く金沢で伝道されていたO先生は、以前「牧師の務めは、信徒一人一人を丁寧に天国に送ることです」と言われていました。その時は、高齢の教会員が多いので、それぞれの葬儀を丁寧に行なうことだと思っていました。

今、その言葉のことを考えると、「礼拝者としての信徒たちの意志や姿勢を、最後まで支えて 天国まで送る」ということだと思うのです。

高齢になって礼拝に来ることが出来ない、献金も出来ない、何も出来なくなってから礼拝者として輝き始める方がおられます。最後には牧師もそこに入ることは出来ず、神様と自分が1対1の関係で向き合います。 教会に来ることが出来なくても、真っ直ぐに天を仰ぎ見、礼拝者としての生き方を、ブレずに通している方もおられます。

私たちは お互いの交わりの中で、礼拝者の姿勢を学び合い、励まし合うことが出来ます。良い交わりの中で、礼拝者として支え合い、高め合っていきたいです。

『スーパー主婦の直伝スゴ技!』(新潮社)

今回はNHK「あさイチ」のディレクターをされていた伊豫部紀子さんの本から、片付けの方法など、実行して良かったことなどを紹介して頂きました。

片付けや整理整頓は、誰でも頭を悩ませることが多いです。

引き出し一つでも、今よく使う物を取り出しやすくすること、あまり使わない物は奥にしまう。(処分する) また、引き出しの仕切りに、道具を買わなくても 牛乳パックを利用する方法も紹介されていました。                      片付け上手な人の例として、ペンや鉛筆などは 数本出して置くと 無くなりやすいけれど、一本だけにしておくと無くならないようです。               ちょっとの工夫で いろいろな無駄を省き すっきりした生活をしたいですね。

次回の予定      2月15日(土)