2021年12月4日(土)
「 恵みを分かち合う 」
「羊飼いたちは、この幼子について天使が話してくれたことを人々に知らせた。」
(ルカによる福音2章8節~20節)
クリスマスイヴというのは、12月24日の真夜中から夜明け前のことで、イエスさまがお生まれになった時のことです。
讃美歌267番の3節に「人はみな眠り 気づかぬまに めぐみの賜物 天よりくる。」という詩があります。
人々が寝静まった夜更け、羊の群れの番をしていた羊飼いに天使たちが、救い主がお生まれになったことを知らせました。身分の低い羊飼いたちは、普段は町の中に入ったことがありませんでしたが、彼らは「主が知らせてくださったその出来事を見ようではないか」とベツレヘムへ行きます。イエスさまを探し当てた羊飼いたちは、この幼子について天使が話してくれたことを人々に知らせます。これがキャロリングの始まりです。
喜びの出来事をみんなに知らせて恵みを分かち合う。今もその時と同じように、子どもたちはページェントやキャロリングで、みんなにクリスマスの恵みと喜びを伝えているのです。
今日は、クリスマスの祝会の歌の練習をしました。教会学校の子どもたちの劇で歌われる讃美歌やオリーブの会の出し物のキャロルをパートに分かれて歌いました。
なかなかみんなで練習する時間が無いので、ほとんどぶっつけ本番のようなものですが、毎年きれいなハーモニーになります。子どもたちの劇も楽しみです。
大人にとっても 子どもたちにとっても 喜びでいっぱいのクリスマスとなりますように!
次回の予定 1月20日(木)
2021年9月16日(木)
「 マルタとマリア 」
「必要なことはただ一つだけである。」
(ルカによる福音書10章38~42節)
この物語には、マルタとマリアという二人の対照的な女性が出て来ます。
マルタは姉でマリアは妹であるとよく言われていますが、実はそうではなく、どちらが姉であるということははっきりしていないようです。この時代、家に客を迎え入れるのは男性がすることで、女性が客を招くことはあまりありませんでした。また、ラビと呼ばれる教師の話を聞くことが出来るのも男性だけでした。
イエスさまの足もとでその話に聞き入っていたマリアと、もてなしのために忙しく立ち働くマルタ。イラ立つマルタは、マリアが手伝うようにとイエスさまに言います。
そんなマルタをイエスさまは「マルタ、マルタ」と二度もその名を呼び「必要なことはただ一つ」だということをあたたかいまなざしで伝えます。
私たちもマルタのように「多くのことに思い悩み、心を乱し」必要なことを見失ってしまうことがあるのはないでしょうか。おもてなしのために献身的にせわしく立ち働き、マリアにイラ立つマルタの姿に共感を覚える人も多いのではないかと思います。そんなマルタを通して、イエスさまはあたたかいまなざしで私たちのことをも招いて下さっています。
今月の本の紹介
今日は、「JAF Ⅿate 」8、9月号より 宮下 奈都さんの「生まれてくるもの」という文章を紹介させて頂きました。
犬と散歩をして、小学校の校庭のそばを通った時のこと、一人の男の子が歌を口ずさみ始めると、そばにいた男の子たちも小さい声で、嬉しそうに同じ歌を歌い始めました。
コロナのせいで、大きな声を出さないよう気をつけていた子どもたちでしたが、一人の子の楽しさや喜びが歌と一緒に広がり、宮下さんも幸せな気持ちになったそうです。
また、犬を飼う時に心配したのは、忙しくなりすぎて三人の子どもたちにかける時間や愛情が少なくなるのではないかということ。しかし、心配は無用でした。犬はとてもかわいくて、犬への愛情が増えた分、子どもたちに向ける愛情も濃くなったように思われたそうです。
犬の分、愛情が減るのではなく、逆に増えていく。喜びとか、楽しみとか、幸せみたいなものは限りなく、どんどん生まれてきて、人生を輝かせてくれる。
説教の中で、いつも牧師が語られる「分けると増える」のメッセージをこの文章の中に発見し嬉しくなりました。
教会のハルカちゃん
2021年8月28日(土)
「 神様が造られた自然の中で 」
「海の魚、空の鳥、地の上を這う生き物をすべて支配せよ。」
(創世記1章28節)
先日、幼稚園の年長さんたちは、奥越高原牧場で、牛のえさやりや模擬搾乳を体験したり、夜は花火大会をして、楽しい一日を過ごしました。自分たちで食事を作り、カレーライスやサラダの中には自分たちが育てたきゅうりやパプリカなどの野菜が入っていました。
創世記の「地に満ちて地を従わせよ。海の魚、空の鳥、地の上を這う生き物をすべて支配せよ。」という言葉の意味は、人間が自分勝手に支配するのではなく、神様のみこころを知り、それにかなうように生き物たちの世話をするということです。
子どもたちは今回、牛の世話をしましたが、日頃から園で飼っているうさぎをかわいがったり、野菜を育てたりと、神様のみこころにかなうことをしています。
自然界に対する人間の姿勢は、まず神様のみこころを知ることが大事であるということを聖書では言っています。
のびのびと過ごす楽しい一日の中で、子どもたちは素晴らしい笑顔でした。
今月の本の紹介
『 マララのまほうのえんぴつ 』 作 マララ・ユスフザイ
( ポプラ社 )
今回は、史上最年少でノーベル平和賞を受賞したマララさんの自伝絵本を紹介させて頂きました。子どもの頃マララさんは、テレビアニメに出てくる、まほうのえんぴつが欲しくてたまりませんでした。そのえんぴつで何かを書くと、みんな本物になるのです。
やがてその地域で、女の子たちが学校に行くこと、教育を受けることが禁じられるようになりました。マララさんは「誰か」ではなくて「自分」が声をあげることによって、多くの人にそれを伝え、世の中を変えていくことが出来るということに気がつきました。
まほうのえんぴつは、自分の言葉と自分の行動の中にある。そのことに気づいたマララさんは、すべての子どもたちの学ぶ権利と未来のために、声を上げ続けるのです。
次回の予定 9月16日(木)
2021年6月12日(土)
「 イエスさまのもとに戻って行く 」
「立ち上がって、行きなさい。あなたの信仰があなたを救った。」
(ルカによる福音書17章19節)
教会学校と幼稚園の5月の聖句は 「 あなたの信仰があなたを救った。安心して行きなさい。」というマルコによる福音書5章34節の御言葉でした。
長い間、病いに苦しんでいた女にイエスさまがかけられた言葉です。1ヶ月の間、子どもたちと話していて気がついたことがあります。「安心して行きなさい。」というイエスさまの言葉には、「また戻って来なさい」という、言葉にはなっていない意味が秘められているということです。「また、ここに戻って来なさい。そして、ここからまた 出かけて行きなさい。」というイエスさまの言葉が込められているのです。
今日の聖書で、イエスさまは、10人の重い皮膚病の人たちに、「祭司たちのところへ行って体を見せなさい」と言われました。 そこへ行く途中で彼らは病いが癒され、清められます。イエスさまの言葉を信じて清くされたのは10人とも同じでしたが、そのうちの1人のサマリア人だけが大声で賛美しながら戻ってきました。心から、感謝と喜びにあふれて、イエスさまのもとに戻ってきたのです。それはとても大事なことです。その人の信仰が、そこに現れています。「もう一度戻って来なさい」そして、そこから「立ち上がって行きなさい」とイエスさまは私たちにも言われます。
日曜日ごとに、神様のもとへ戻ってきて、そこからまた自分の生活や仕事や、大変な日々の暮らしの中へ帰って行く。「安心して行きなさい」とイエスさまは送り出して下さっているのです。
今日は、ゴスペルソングを2曲 紹介して頂きました。
アメリカのTonex ( トーネイ )の歌です。
1曲めは 「 Make me Over 」 です。
「 神様、僕を 生まれ変わらせて下さい 」という言葉で、自分の罪と悔い改めを歌った、しっとりとした穏やかな曲です。
もう1曲は 「 ALIVE 」 ( 生きている ) という曲です。
先ほどの歌とは、打って変わって、テンポが速いにぎやかな曲で、十字架にかけられたイエスさまが、墓の中からよみがえられて 「 生きている! 」ということがテーマになっています。
次回の予定 7月29日(木)
2021年5月20日(木)
「 名前を呼んで下さる神様 」
「あなたはわたしのもの。わたしはあなたの名を呼ぶ。」
(イザヤ書43章1節)
幼児さんびかに「ひとりひとりの名をよんで」という歌があります。
幼稚園のクラス礼拝の時に、名前を呼ばれた時どうだったかを聞いてみると、
「うれしい」「たのしい」「かなしい」など、呼び方によっても違うことがわかります。
「天職」という言葉がありますが、元は「Calling」という聖書からきた言葉です。
神様から呼ばれて、○○しなさいと言われ就く仕事ということです。
神様は、私たち一人一人の名を呼んで下さっています。
「召命」というのは、神様がその人の生涯を引き受けて御自分のものとされることです。
呼ばれることを喜びとされることは大事なことです。
子どもたちは、呼ばれたら返事をします。呼ばれたら返事をして、一日を過ごしていくことは、子どもも、大人にとっても大事なことです。
今月の本の紹介
『 おもいのまんま 』 ひろはまかずとし墨彩画集 (河出書房新社)
「 まわり道したから あなたに逢えた 」
「 安心して下さい。あなたにとって これが最後の山です 」
「 どんな時でも よかったと思う事にしています。 そうすると 本当に よかったという結果になるから 不思議です。 」
どの言葉も、疲れた時や辛い時に、心を少し励ましてくれたり、癒してくれるような言葉です。この本の中でひろはまさんが語っているのは、無理をしないで、ありのままの自分でいること。たいへんな時でも、乗り越えたすぐそこには、また良いことがあるということ。まず自分が幸せでいること。など、大切なことが、優しい言葉と、素朴で少し不思議な絵で描かれています。
どの絵の中にも必ず、小さな天使が飛んでいて、ひろはまさんの世界観のようなものを感じさせてくれます。
次回の予定 6月12日(土)
2021年4月17日(土)
「 イエスさまの自己紹介 」
「わたしは良い羊飼いである。」
(ヨハネによる福音書10章14節)
これは、今年度の教会学校の年間聖句です。そしてまた、栄冠幼稚園の年間聖句でもあります。この一年、教会学校の子どもたちとその親、そして幼稚園の子どもたちと教師、親たちが同じ聖句を読むことになります。
ヨハネによる福音書には、イエスさまが「わたしは○○である」と語っている聖句が多くあります。「わたしはぶどうの木」「わたしは命のパン」「わたしは道であり、真理であり、命である。」などです。これはイエスさまの自己紹介です。
幼稚園でも、先生たちが初めての子どもたちに自己紹介をします。自分の名前ばかりではなく「これから、こんなふうに楽しく遊びましょう」などと、子供たちを新しい場所に引き込んでいきます。イエスさまも、新しく始まる関係の中にあなたも入って来なさいと言われます。
幼稚園の子どもたちに「羊飼い」の話をして、その役割のことを聞いてみると「羊の世話」「えさをあげる」「守る」「愛する」などたくさんの答えが返ってきます。
イエスさまは、私たちをこんな関係の中に導き入れて下さり、守り、養い、愛して下さることを、約束して下さっています。
私たちも、子どもたちと一緒に育っていきたいです。
今月の本の紹介
『 花さき山 』 ( 岩崎書店 ) 絵 滝平二郎 作 斉藤隆介
10歳の少女あやは、祭りの煮しめの山菜をとりに山へ行って道に迷い、そこで山ンばに出会います。 山ンばはあやに言います。ふもとの村の人間がやさしいことをひとつすると、ひとつ花が咲く。 あやのあしもとに咲いている赤い花は、きのうおまえが咲かせた花だ・・・
黒い背景に浮かんだ、色とりどりの花の絵は美しく、それは時には悲しみをともなうやさしさの中に咲いた花だからこそ、こんなに美しいのだろうと思いました。
次回の予定 5月20日(木)
2021年3月11日(木)
「 人の計画と神の計画 」
「わたしは、あなたたちのために立てた計画をよく心に留めている、と主はいわれる。」
(エレミヤ書29章11節)
年度末になり、次年度の計画を立てる時期になりました。「計画」という言葉は、聖書にはどのように出てくるでしょう。私たちが使っている「計画」とは違っています。
ローマの信徒への手紙8章には「御計画に従って召された者たちには、万事が益となるように共に働く・・・」と書いてあります。聖書には、人の計画ではなく神の計画のことが書かれてあるのです。人は未来のこと将来のことを計画しますが、未来や将来のことは、人間の領分ではなく神様の領分です。そこに踏み入って、人が計画を立てることを聖書は良しとしていません。しかし、無計画でいることは出来ません。
私たちの計画が世の人々と違うことは、うまくいかなかった時に、神のみこころを尋ねることです。失敗した背後には、何か神の計画があるのではないかと振り返ります。
2020年は、コロナウイルス拡大のために、計画が実現出来なかったことが沢山ありました。今まであたりまえだったことが、あたりまえではなくなりました。礼拝に行きたくても、行くことが出来ない時期がありました。
「涸れた谷に鹿が水を求めるように 神よ、わたしの たましいはあなたを求める。」
という詩編42編の渇きを実感しました。礼拝に出ることの出来ない人の痛みや渇きを感じることが出来たことによって、道が開かれてきたこともあると思います。
エレミヤ書には「それは平和の計画であって、災いの計画ではない。将来と希望を与えるものである。」と書かれています。
私たちは辛い時、お互いに励まし合うことが求められています。その中から将来と希望が見えてくるのではないかと思います。
今月の本の紹介
俵万智 3・11短歌集 『 あれから 』 (今人舎)
今回は、福井にもゆかりのある俵万智さんの短歌集を紹介させて頂きました。東日本大震災の時、俵万智さんは仙台に住んでいましたが、7歳の息子と二人、南の島に避難し、そこに暮らすことになりました。その時に詠んだ短歌が「あれから」です。
「 電気なく水なくガスなき今日を子はお菓子食べ放題と喜ぶ 」
「 島に来てひと月たてば男の子 アカショウビンの声聞きわける 」
「 どんといけと聞こえてくるよ エイサーを踊る息子の太鼓のリズム 」
「 何色にもなれる未来を願う朝 白いガーベラ君に手渡す 」
「子どもの人生は子どもの手で色を塗っていってほしい。そのために大人がしてやれるのは、白いキャンパスを用意してやることだけだ。そんなことを思いながら、『あれから』の日々を過ごした。」と俵万智さんは書いています。
あの日から10年。これからも忘れないで、想い続けたいです。
次回の予定 4月17日(土)
2021年2月20日(土)
「 聖霊が宿る神殿 」
「あなたがたの体は、神からいただいた聖霊が宿ってくださる神殿であり、あなたがたはもはや自分自身のものではないのです。」
(コリントの信徒への手紙Ⅰ6章19~20節)
パウロはコリントの教会の人たちに、聖霊についての話をしています。
聖霊について理解が浅い人たちに、時には強い口調で語ります。
私たちにとっても、聖霊というのは、よくわかりにくいところがあるかも知れません。
パウロは「あなたがたの体は、神からいただいた聖霊が宿ってくださる神殿」と言います。神殿はコリントの人たちにとって、一番身近な存在でした。
私たちの体の中に神様の聖霊が宿って下さる。いろんな宗教がありますが、神様が私たちの中に親しく宿り、働いて下さるのはキリスト教だけです。
それによって父なる神様もイエスさまも、私たちの中で働いて下さるのです。
そして、さらにパウロは「あなたがたはもはや自分自身のものではないのです。」と語ります。私たちはイエスさまの命という代価を払って買い取れたのです。
コリントの人の中には、霊が救われていれば、肉体が何をしても罪にはならないと思っている人もいました。そんな人々にパウロは「自分の体で神の栄光を現しなさい。」と言います。
私たち一人一人の働きは貧しく、小さいけれど、神様の聖霊が働いて、大きく豊かに用いて下さいます。神様の栄光を現すことが出来るように導き、祝福して下さるのです。
今月の本の紹介
「 ハンネリおじさん 」 (日本キリスト教団出版局)
絵 すずきやすまさ 文 きどのりこ
うさぎのハンネリおじさんは、昔 わなにかかった子うさぎを助けた時に、大けがをしました。ある日、その話を聞いた子うさぎのミトは、その時に助けてもらった子うさぎを捜しに行きます・・・
心にずしんと残るような、深くて、考えさせられるお話です。
うさぎたちや、まわりの景色は素朴であたたかく、懐かしさを感じます。
子どもにとっても大人にとっても、何かとても大切なメッセージを伝えてくれる絵本だと思いました。
次回の予定 3月11日(木)
2021年1月28日(木)
「 試練と逃れる道 」
「試練と共に、それに耐えられるよう、逃れる道をも備えていてくださいます。」
(コリントの信徒への手紙Ⅰ備えて下さるのです。
ノアは洪水という試練に遭いました。神に背く行いをしていた人々は洪水で死んでしまいましたが、ノアとその家族と動物たちは箱舟に入って助かりました。
神様はノアを嵐に遭わせないのではなく、ノアは四十日四十夜、箱舟の中で翻弄され続けました。
「神の真実」とは、愛する人を見捨てない、忘れない、軽んじないことです。
ノアたちは試練の中でそれを見ました。
人は必ず試練に遭います。それを受けとめる時、災いとしてではなく、神からの試練としてうけとめることは必要ではないでしょうか。
それがパウロのいう「逃れる道」ということかも知れません。
今月の本の紹介
『 Life ( ライフ) 』 ( 瑞雲舎 )
作=くすのき しげのり 絵=松本 春野
町のはずれに「ライフ」という小さなお店があります。店といっても だれかが働いているわけでも、何かを売っているわけでもありません。冷たい風がふいた日、一人のおばあさんが「ライフ」にやってきました。悲しみの中で 店に種をおいて行ったおばあさんは、やがて春に「ライフ」を訪れた時、その心の中にたくさんの花を咲かせることが出来ました。「ライフ」を訪れる人たちは、だれかが何かをおいていき、そして何かを持って帰ります。見えるものも、見えないものも。
次回の予定 2月20日(土)