聖書:イザヤ書6章1~8節・使徒言行録20章13~24節
説教:佐藤 誠司 牧師
「わたしは言った。『災いだ。わたしは滅ぼされる。わたしは汚れた唇の者。汚れた唇の民の中に住む者。しかも、わたしの目は王なる万軍の主を仰ぎ見た。』するとセラフィムのひとりが、わたしのところに飛んで来た。その手には祭壇から火鋏で取った炭火があった。彼はわたしの口に火を触れさせて言った。『見よ、これがあなたの唇に触れたので、あなたの咎は取り去られ、罪は赦された。』」(イザヤ書6章5~7節)
「そして今、わたしは“霊”に促されてエルサレムに行きます。そこでどんなことがこの身に起こるか、何も分かりません。ただ、投獄と苦難とがわたしを待ち受けているということだけは、聖霊がどこの町でもはっきり告げてくださっています。しかし、自分の決められた道を走りとおし、また、主イエスからいただいた、神の恵みの福音を力強く証しするという任務を果たすことが出来さえすれば、この命すら決して惜しいとは思いません。」(使徒言行録20章22~24節)
使徒言行録は最後、パウロがローマで妨げられることなく福音を告げ知らせるところで終わります。著者であるルカは、パウロの死を知っているはずなのですが、どうしてもパウロの死で使徒言行録を終わることが出来ずに、パウロが福音を語る場面で終わった。映画で言えばストップモーションのような絵で終わるのです。どうしてでしょうか。パウロの最後にして最大の願いは、じつはローマに行くことでした。19章の21節に、こう書いてありました。
「このようなことがあった後、パウロは、マケドニア州とアカイア州を通り、エルサレムに行こうと決心し、『わたしはそこへ行ったあと、ローマも見なくてはならない』と言った。」
いかがでしょうか? 「見なくてはならない」という言い方は、大変語気の強い言い方です。聖書独特の言い方に、「神的必然」という言い方があります。神様のご意思によって必然的にそうならねばならない、と言うときの言い方です。そういう言い方をパウロは、ここでしているのです。
ということは、パウロは、もうこの時点で、自分の運命をすべて、神様のご意思に委ねていたということです。だから、彼は「ローマも見なくてはならない」と言ったのです。しかも、それはエルサレムに行ったあとでなければならない、とパウロは言うのです。どうしてなのでしょうか? エルサレムで果たすべき大仕事があるからです。それを果たした上でなければ、ローマ行きには何の意味もない。さあ、パウロがエルサレムに行って果たそうそしている事とは、どういうことなのでしょうか?
じつは、パウロは、自分が基礎を据えた異邦人教会からエルサレム教会支援のための献金を集めておりました。エルサレムを中心とするパレスチナ地方に深刻な飢饉が起こって、エルサレム教会も窮地に陥っている。そこで、パウロはこれを支援するための献金運動を、自らが基礎を据えた諸教会で行っていたのです。
しかし、この献金運動には、単に飢饉によって窮地にあるエルサレム教会を支援するということ以外に、もう一つ、大切な目的がありました。当時のエルサレムはユダヤ主義と言いますか、大変な愛国主義に席巻されておりまして、律法を遵守することが大変尊ばれておりました。エルサレム教会はその渦中にあるわけですから、律法問題には神経過敏になっている。福音を信じてはいるけれど、律法も大事という立場に傾かざるを得なかった。そこへパウロの異邦人伝道の噂が次々と聞こえてくるわけです。噂というのは、とかく尾ひれが着くものです。パウロが人は福音を信じるだけで救われると説けば、それに尾ひれが着いて、パウロは律法なんてどうでも良いんだと言っていると、噂というのは、そっちの方に力点が掛かって伝わるものです。
そういう噂の中で、エルサレム教会は、まさに薄氷を踏む思いをしていたわけでして、正直なところ、パウロには大人しくしていてほしいのです。自分たちはキリストを信じながら、律法も守っていく。こういう行き方があってもよいではないか。我々はパウロの異邦人教会も認めるのだから、パウロも我々のやり方を認めるべきではないかと。我々は我々、パウロたちはパウロたち。そういう考え方をエルサレム教会の人々はするようになっていました。当然、エルサレム教会は異邦人教会に対して交わりを持とうとしないわけです。
そこに起こったのがパレスチナの飢饉でした。パウロはいち早く献金運動に取り掛かります。コリントの教会も、フィリピの教会も、テサロニケの教会も、これに参加しました。これらは皆、異邦人をも受け入れる教会です。これら異邦人教会からの献金を、エルサレム教会が受け取ってくれれば、それは、とりもなおさず、エルサレム教会が異邦人教会に対して交わりの門戸を開くということです。さあ、エルサレム教会は、異邦人教会からの献金を受け取るだろうか。それとも、受け取らないで、心を閉ざすのか。
では、パウロは、なぜ、それほどまでに異邦人教会とエルサレム教会の交わりに心血を注ぐのでしょうか? もう一度、19章の21節を振り返ってみると、パウロは、自分はエルサレムへ行ったあと、「ローマも見なくてはならない」と言っておりました。エルサレムへ行って、異邦人教会とエルサレム教会の交わりを確かなものとした上で、私はローマに行かなければならないのだとパウロは言うのです。さあ、これには、どういう事情があるのでしょうか?
以前、18章の初めに、こういうことが記されていました。パウロがコリントに来たときのこと。そこでパウロはローマから来たアキラとプリスキラというユダヤ人キリスト者の夫妻と出会います。どうしてこの夫婦がローマから出て来たかと言いますと、この夫婦は元々、ローマ教会の有力な信徒だったのですが、ローマでユダヤ人同士のトラブルが起こったため、時のローマ皇帝クラウディウスがローマからユダヤ人をすべて退去させる勅令を出したのです。アキラ夫妻はこれによって、ローマから出て来たわけです。そして夫妻はパウロにローマ教会の現状を詳しく語ったに違いありません。ローマ教会は、当時としては珍しくユダヤ人信徒と異邦人信徒が共に礼拝の恵みに与る教会でした。ユダヤ人信徒と異邦人信徒が共に手を携えて教会形成をしていた。とはいえ、ユダヤ人信徒たちが指導的な立場に立っていたことは明らかであり、そういう中心的な立場にあったユダヤ人信徒たちがあの勅令によって、ゴッソリ抜け落ちてしまったのですから、大変です。異邦人信徒たちだけで教会を支えて行かなければならない。しかし、それでも異邦人信徒たちは、頑張って教会を支え続けてきたのです。
しかし、本当に大変なのは、それから先のことでした。やがて、ユダヤ人追放の勅令が解かれて、ユダヤ人信徒たちがローマに帰って来ました。そのとき、彼らが見たものは何だったでしょうか。それは、かつて自分たちが指導していた異邦人信徒たちが、教会の指導的立場に立っている有様でした。ユダヤ人信徒たちの心は穏やかならざるものがあったと思います。ひるがえって、異邦人信徒たちはどうであったかというと、教会が大変なときに、自分たちが教会を支えてここまで来たのだという自負があったでしょうし、教会がなんとか軌道に乗り始めたときにユダヤ人信徒たちが帰って来て、再び教会の指導的立場に立ち始めたのですから、こちらも心穏やかならざるものがある。いったい、これから先、ユダヤ人信徒と異邦人信徒は、本当に主にある兄弟として交わりを保って行けるのか。パウロがエルサレム教会と異邦人教会の交わりを確たるものとしてから、ローマに行かねばならないと言ったのは、そういう背景があったからです。
さて、パウロたちはエルサレムを目指す船旅に出ます。一行を乗せた船はエフェソには寄らずにミレトスの港に直行します。そのミレトスの港に、パウロはエフェソ教会の長老たちを呼び寄せます。エフェソといえば、パウロのアジア伝道の中心となった町ですが、それと同時にパウロが大変苦労をした。伝道の難しい町だったことが分かります。パウロ自身の手紙を見ますと、パウロは第一コリント15章32節で「エフェソで野獣と戦った」と述べています。また第二コリントの1章でもパウロは「アジア州で蒙った苦難」について「生きる望みさえ失った」と語っています。エフェソの伝道がいかに大変だったかが、これで分かります。パウロが今回、エフェソを避けて直接ミレトスに行ったのも、危険を回避するためであったと思われる。しかし、エフェソ教会の長老たちには、どうしても言い残しておきたいことがある。だから、パウロは長老たちを呼び寄せたのです。さて、こうして18節から、パウロがエフェソの長老たちに語った遺言とも言える言葉が克明に記されていくわけですが、ここは、ある意味で、使徒言行録の中心ともいえる大切な個所です。新約聖書にはパウロの手紙が多く収められていますから、パウロの思想を知る上では事欠かないのですが、ここが貴重なのはルカが見ていたパウロ像というものが、非常に克明に語られている点です。ルカはパウロの弟子ですから、ひょっとしてパウロの手紙の口述筆記もルカがやっていたかも知れません。それだけに、ルカはパウロの手紙を熟知していたと思います。ですから、ここはパウロ自身の言葉ではないかも知れませんが、宛先の教会で起こっている問題に左右される手紙よりも、ある意味でパウロの思想を忠実に映し出していると思われるのです。パウロはエフェソの長老たちに語りかけます。
「アジア州に来た最初の日以来、わたしがあなたがたと共にどのように過ごしてきたかは、よくご存知です。すなわち、自分を全く取るに足らない者と思い、涙を流しながら、また、ユダヤ人の数々の陰謀によってこの身にふりかかってきた試練に遭いながらも、主にお仕えしてきました。」
「涙を流しながら」と言ってますでしょう。著者のルカは、パウロの手紙の口述筆記も担当していたでしょうから、パウロが時に涙を流しながら手紙の文章を練っていたことを知っているのです。パウロがコリント教会に宛てて書いた「涙の手紙」というのがあります。おそらく、ルカはこの手紙を知っていたのでしょう。
またここに「ユダヤ人の数々の陰謀」という見逃せない言い方がなされています。確かに、パウロの伝道は行く先々で、ユダヤ人による妨害を受けてきました。同胞から反発と妨害を受けてきたのがパウロの伝道の特徴です。ですから、パウロは時に憤りのあまり、「私は異邦人の方へ行く」とまで言いました。しかし、パウロにとって同胞であるユダヤ人が異邦人と共に救いに与ることが何よりの願いだったのです。ですから、パウロはローマの信徒への手紙の中で
ユダヤ人と異邦人が共に救いに与ることを何度も繰り返し語っています。そしてこのあと、21節でもパウロは、こう述べています。
「神に対する悔い改めと、わたしたちの主イエスに対する信仰とを、ユダヤ人にもギリシア人にも、力強く証ししてきたのです。」
何気ない表現のようにも見えますが、私はここらあたりのルカの文学的な表現は非常に鋭いものがあると思います。この文章は、前半と後半に、二つのことが並列で述べられていますね。前半には「神に対する悔い改め」と「私たちの主イエスに対する信仰」が並列の形で述べられていますし、後半では「ユダヤ人」と「ギリシア人」が並列で出てきます。もちろん、パウロにとってみれば、福音の前にはユダヤ人とギリシア人の区別は無いのですが、それと同時にパウロにとってみれば「神に対する悔い改め」と「主イエスに対する信仰」も区別は無いのです。多くの人にとって、「神に対する悔い改め」と「主イエスに対する信仰」は別物だった。それが、パウロにおいては、この両者がピタリと重なって、そこにパウロのキリスト者としての原点があったのです。それがダマスコに向かう途上で起こった回心の出来事です。
それまで、キリスト者を迫害していたパウロは、もともとサウロという名前でした。サウロは神に対する熱心から、キリスト者を迫害していたのです。それが、復活の主イエスに捕らえられて、全く変わってしまった。今の今まで神様に対する熱心だと思っていたものが、じつは自分の独りよがりな熱心であった。神様に対する悔い改めではなく、自分の熱心さが第一だった。それが今、主イエスと出会って、自分の中にある、どうしようもない罪というものに嫌というほど気付かされた。気付かされただけではありません。その自分の罪が主イエスの十字架によって完全に贖われていることを知ったとき、サウロの生き方は全く変えられてしまったのです。そのとき、パウロの中で「神に対する悔い改め」と「主イエスに対する信仰」がピタリと重なった。そしてそれこそが福音であると思い知ったとき、パウロは伝道者として立てられたのです。
神に対する悔い改めとは、神様のところへ帰って行くことですが、それは必ず主イエスを通って帰って行くのです。イエス様を通らなければ、誰も神様のもとへは帰れない。罪人が神様のもとに帰るためには、罪赦されることが、どうしても必要だからです。ヨハネ福音書14章の主イエスの言葉が思い起こされます。
「わたしは道であり、真理であり、命である。わたしを通らなければ、誰も父のもとに行くことが出来ない。」
罪の赦しを通って、神様のもとへ。さらに神様から遣わされる伝道者としての歩みへ。これはイザヤの回心と全く一致するものです。今日はイザヤ書第6章の物語を読みました。
ここにはイザヤが神殿の聖所で神様と出会う場面が描かれておりますが、イザヤという人は、それまでユダヤの同胞の人々の罪を糾弾してきたのです。まことの礼拝が失われている。そのことを批判してきたのです。ところが、聖所で神の臨在に接したとき、イザヤは恐れおののきました。なぜか。自分の罪を自覚したからです。5節でイザヤは、こう述べています。
「災いだ。わたしは滅ぼされる。わたしは汚れた唇の者。汚れた唇の民の中に住む者。、しかも、わたしの目は王なる万軍の主を仰ぎ見た。」
神様の臨在に触れるというのは、こういうことです。それまでイザヤは同胞の罪を糾弾していたのです。しかし、今、神様の臨在に触れて、同胞の罪だけが問題なのではない。実に自分自身が罪に汚れた者なのだと分かった。私たちが神様と出会うときというのは、そうでしょう。神様の恵みとか、神様のお守りだとか、そういうことだけではない。自分の罪というものを思い知らされる。自分がいかに神様の心から離れていたか。背いた生き方をしていたか。自分の言うこと、すること、そのすべてが神様の御心とは違う。ああ、私はもう滅びる。
そのときに、セラフィムの一人が祭壇から取った燃える炭火を持って来て、それをイザヤの唇にひっつけて、こう言ったのです。
「見よ、これがあなたの唇に触れたので、あなたの咎は取り去られ、罪は赦された。」
これは何を表しているのでしょうか? 燃える炭火が唇に付けられた。この燃える火は、神様の裁きの象徴でしょう。それがイザヤの罪深い唇に触れた。これは古いイザヤの死を表しているのでしょう。そして、新しいイザヤが生まれた。そのとき、イザヤはこう言いました。
「わたしがここにおります。わたしを遣わしてください。」
パウロのダマスコ途上の回心の出来事は、こういう出来事だったのです。だからこそ、パウロは、キリスト者になったのと、伝道者とされたのが、ほとんど同時だったのです。パウロは言います。
「しかし、自分の決められた道を走りとおし、また、主イエスからいただいた、神の恵みの福音を力強く証しするという任務を果たすことが出来さえすれば、この命すら決して惜しいとは思いません。」
これは必死の覚悟というものではない。罪赦され、伝道者として立てられた者が歩む、当たり前の道です。そしてこの道は、日本という国では、私たちの前にも開かれている道ではないでしょうか。
シャクヤク
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