聖書:創世記12章1=4節・使徒言行録27章13~26節
説教:佐藤 誠司 牧師
「幾日のも間、太陽も星も見えず、暴風が激しく吹きすさぶので、ついに助かる望みは全く消えうせようとしていた。」(使徒言行録27章7~8節)
「彼は望み得ないのに、なおも望みつつ、信じた。」(ローマの信徒への手紙8章14節・口語訳聖書)
使徒言行録の学びも、いよいよ終盤に差し掛かってまいりました。使徒言行録の終盤は、パウロがカイサリアから船出してローマに向かって行く。その船旅のプロセスを大変に詳しく描いております。どうしてこれほど詳細に描く必要があるのかなと、訝しく思えるほどです。なにせ27章の冒頭から28章の半ばまで続くこの船旅は、聖書全巻の中で最も長く詳細な船旅の描写なのです。
しかも、この船旅の物語は、皆さん、お読みになってすぐに気付かれると思いますが、全部が「私たち」という主語で語られている。ということは、この船旅には使徒言行録の著者であるルカが同行しているということです。ルカはパウロの弟子でしたから、これまでも伝道旅行に同行することはあったでしょう。ルカは医者でもありましたから、健康面で不安のあるパウロを支えるために、同行したということも考えられます。しかし、このたびは、それらとは全く異なる、特別の目的があったのではないかと私は思います。
さあ、その目的とは何なのか? おそらく、このローマ行きの時点で、ルカの中では使徒言行録の構想は出来上がっていたと思います。エルサレムに始まってローマで終わるという全体の構想です。その中でルカは、このローマへの船旅に、第二の出エジプトとしての意味合いを持たせていたのではないかと思います。
第一の出エジプトは、ご存知のように、旧約の出エジプト記に描かれたエジプト脱出の出来事ですね。エジプトで奴隷となっていたイスラエルの人々を神様が顧みてくださって、モーセを指導者に立てて、エジプトから救い出してくださった。この出来事が原点となって、神の民イスラエルが形作られていきました。出エジプトは、その意味で、神の民イスラエルの原点となった重大な出来事だったのです。そして、神の民イスラエルの土台として与えられたのが、十戒なのです。これが第一の出エジプトです。
これに対して、ルカは、パウロのローマへの旅立ちを第二の出エジプトとして位置づけたのだと思います。律法遵守の民族宗教から世界宗教への脱出です。ユダヤの民族主義と律法主義に篭絡されたエルサレム教会主導のキリスト教は、パウロの目から見ればユダヤ教の一分派でしかなかったでしょう。しかし、福音そのものが、律法からの解放を欲しているではないか。それならば、福音によって使徒とされたパウロが今、ユダヤ人たちの訴えをきっぱり拒絶してローマに向かっているのは、まさに第二の出エジプトではないのか? 律法によらず、民族にもよらず、ただキリストを信じる信仰のみによって、ここにまことの神の民、新しいイスラエルが形作られていく。その土台はキリストご自身にほかならない。ルカの中ではこの構想がすでに出来上がっていたのでしょう。この構想ならば「あなたがたはエルサレムから始まって、地の果てまで私の証人となる」という主イエスの約束の成就として、福音の世界宣教を予想させる結末を描くことが出来る。だから、出エジプト記が荒野の旅を詳細に描いたように、使徒言行録もローマへの船旅を延々と描くのです。
さて、その船旅ですが、カイサリアを出港したときから、パウロの身柄を預かったのはローマ皇帝直属部隊の百人隊長ユリウスでした。この船は小型であったらしく、ユリウスは途中のミラという港で、イタリア行きのアレクサンドリアの船に乗り換えます。これで一安心と思いきや、人々の期待に反して、船足はなかなかはかどりません。ここからは聖書の巻末に載せられている「パウロのローマへの旅」という地図を見ていただくと解り易いのですが、船は信じ難い航路を行くことになります。
どういう道をたどったかと言いますと、この船はクニドスの港に入ろうとしますが、風に行く手を阻まれて、入港することが出来ません。そこで仕方なく、沖合いから船は引き返すのです。そしてクレタ島の東の端のサルモネ岬を通って、クレタ島の南の岸を出て、そのまま西に進みます。つまり、船はクレタ島を半周するわけです。すると船はラサヤの町に近い「良い港」と呼ばれる所に着いたと書いてあります。「良い港」というのは、じつは港ではありません。土地の人たちが「良い港」と名付けていた天然の停泊地です。
ところが、ここで船が停泊しているほんの数日のうちに、季節の変わり目がきてしまいます。断食期の終わり、すなわち、10月の終わりごろだと思われます。風向きが変わるのです。冬を越してでないと、西向きの航海は困難になります。さあ、船は二つに一つの選択を迫られます。ここで冬を越すか、それとも、クレタ島の西に面しているフェニックス港まで頑張って足を伸ばし、そこで冬を越すか。パウロはここに留まることを提案します。ところが、百人隊長は船長や船主の意見を重んじて、フェニックスまで行くことになります。つまり、百人隊長としては素人のパウロよりも専門家の意見を重んじたわけです。ところが、専門家の意見というのが、往々にして曲者でありまして、専門家には素人にはない利害関係が、しがらみのように付きまとう。その利害関係に判断が左右されるのです。
さて、素人であり、囚人の一人に過ぎないパウロの意見に耳を傾ける人は、ルカとアリスタルコという二人のキリスト者以外には一人もいませんでした。こうして船は専門家の判断に従って「良い港」を出ます。フェニックスまでは、ほんのわずかの距離です。行けないわけはない。人々はたかをくくっています。13節に、こう書いてあります。
「ときに、南風が吹いて来たので、人々は望みどおりに事が運ぶと考えて錨を上げ、クレタ島の岸に沿って進んだ。」
何気ない描写ですが、」ここに「人々は望みどおりに事が運ぶと考えて」と書いてあります。この「望み」って、どこから来た「望み」なのでしょうか? 自分の中から出て来た望みなのです。だから、この「望み」は、じつは「望み」というより「願い」に近い。人々は、自分たちの願いどおりに事が運ぶと考えて船を進めたのです。
ところが、それから間もなく「エウラキロン」という暴風が島から吹き降ろしてきたので、船はそれに巻き込まれて、風に逆らっては進めなかった。そこで仕方なく、流されるに任せたと書いてあります。船長や船主は航海の専門家ですから、ここら辺りにはこの時節、エウラキロンが吹くことも知っていたと思います。しかし、まさか今日、吹くとは思わなかった。
これはどういうことかと言いますと、自分たちの判断には限界があることを見落としていたということです。ですから、限界を見落としていることへの警告は、必ず、限界を超えたところから示されます。専門家たちは、この警告に対して謙虚ではなかったのです。彼らは専門家として、エウラキロンが吹くかも知れないことは弁えていた。しかし、吹かないかも知れない。確かにそうなのです。吹かないかも知れないのです。しかし、彼らはこの「吹かないかも知れない」ほうを選んだがために、パウロの警告が耳に入らなかった。さらに言うなら、パウロをとおして警告を発しておられるお方に、心を閉ざしてしまったのです。彼らには自然と、その創造主への恐れが無かったということです。
こうなってしまうと、専門家というのは弱いものです。「流されるに任せた」と書いてあるように、手も足も出なかったのです。やがて、カウダという、ごく小さな島の陰に来たので、やっとのことで小船を舟の上に引き上げることが出来た。そして船体に綱を巻きつけたと書いてあります。おそらくこれは、激しい波の力によって船が解体してしまわないように、船体をロープで外から締め上げたというこ
とでしょう。つまり、ここまできて彼らはやっと最悪の事態を想定したという
ことです。
次に彼らは、シルティスの浅瀬に乗り上げることを恐れて、海錨を下ろしたと書いてあります。これは、錨を海底に着くまで下ろしてしまわずに、一定の深さに吊り下げておいて、海底が浅くなると錨をとおして分かるようにする、そういうやり方だと言われます。しかし、ひどい暴風に悩まされたので、翌日には人々は積荷を海に投げ捨て始めます。さらに三日目には、人々は船具まで捨て始めます。だんだんと危機的状況が深まっているのが、手に取るように伝わってきます。そして20節、ついに望みの果てるときが来ます。こう書いてあります。
「幾日のも間、太陽も星も見えず、暴風が激しく吹きすさぶので、ついに助かる望みは全く消えうせようとしていた。」
ここにも「望み」という言葉が出て来ております。13節にも「望み」という言葉が出て来ていました。あのとき、人々は順風満帆、望みどおりに事が運ぶと考えたのでした。あの「望み」は、結局、自分たちの中から出てきたもの。希望というより、「願い」に近いものでした。今、激しい暴風によって、その願いはことごとく打ち砕かれて、ついに助かる望みは消えうせようとしていた。願いが打ち砕かれたとき、望みまでが消えて無くなったというのです。しかし、本当に望みは消えたのか? そもそも「望み」「希望」とは何なのか? おそらく、今日の物語は、ここに焦点があるのでしょう。
人々は長い間、食事をとっていなかったと書いてあります。食料はあったのです。しかし、食べる意欲さえ失っていた。飢餓状態にありながら、生きるために食べなければならないという意思すら無くなって、食べることをしない。そういう状態だったのです。その中で、パウロが一人、立ちあがって言葉を投げかけます。
「皆さん、わたしの言ったとおりに、クレタ島から船出していなければ、こんな危険や損失を避けられたに違いありません。しかし今、あなたがたに勧めます。元気を出しなさい。船は失うが、皆さんのうち誰一人として命を失う者はないのです。」
パウロはクレタ島を船出したことを責めているのではありません。責めているのではなくて、励ましているのです。必ず助かる。パウロは断言しているのです。どうしてそのように断言することが出来るのか? パウロはここでその根拠を語り始めます。
「わたしが仕え、礼拝している神からの天使が昨夜、わたしのそばに立って、こう言われました。『パウロ、恐れるな。あなたは皇帝の前に出頭しなければならない。神は、一緒に航海しているすべての者を、あなたに任せてくださったのだ。』ですから、皆さん、元気を出しなさい。わたしは神を信じています。わたしに告げられたことは、そのとおりになります。わたしたちは、必ず、どこかの島に打ち上げられるはずです。」
「元気を出しなさい」という言葉が二度、繰り返されています。「元気を出せ」というのは「頑張れ」ということではありません。不思議なことに、聖書には「頑張れ」という意味の言葉が見当たらないのです。これは私たちが心に留めておくべきことだと思います。パウロが言った「元気を出しなさい」というのは「希望を失うな」ということなのです。希望は、あるのです。決して無くなったのではない。失っているだけなのです。なぜなら、本当の「望み」「希望」というのは神様から来るものだからです。だから、パウロは第二コリントの中で、こう言いましたね。
「途方に暮れても失望せず。」
これ、昔の文語訳では、こうなっていました。
「為ん方つくれども望みを失わず。」
いいでしょう? 為ん方つくれど望みを失わず。全く道が閉ざされても、希望を失わない。パウロはそう言うのです。どうしてなのでしょうか? 希望は神様から来ることを知っていたからです。船に乗っている人々は、百人隊長ユリウスにせよ、船長にせよ、船主にせよ、皆、外国人ですから、聖書の神様を知りません。だから、この人たちは、「望み」「希望」は神様から来るものだということを知らないのです。すると、どういうことが起こるかというと、「望み」と「願い」の区別が無くなってしまうのです。「願い」というのは、自分の中に根拠を持つと言いますか、自分の中から出て来るものです。今日の物語の13節に「人々は望みどおりに事が運ぶと考えた」というのは、そこのところを言い当てております。この「望みどおり」というのは「願いどおりに」ということだったのです。しかし、そういう自分の中に根拠を持つ望みというのは、願いが打ち砕かれると、全く弱いです。食べる意欲さえ失ってしまったわけでしょう? どうして、こんなことになったのか? 希望・望みと、自分の願いとをいっしょくたにしてしまったからです。望みと願いの区別を知らない。願いは自分の中に根拠があるのです。しかし、本当の「望み」「希望」は、違いますね? 自分の中に根拠が無い。全く無いのです。では、どこに根拠があると言うのでしょうか?
今日は創世記12章のアブラハムの物語を読みましたが、アブラハムの人生というのは、詰まるところ、自分の中に根拠を持たない人生なのです。すべての根拠は、生ける神様の中にある。だから、パウロはローマ書の中で、アブラハムのことをこう言いました。ローマ書の第4章18節の言葉を口語訳聖書で読んでみます。
「彼は望み得ないのに、なおも望みつつ、信じた。」
だから、パウロは、人々が絶望しているときに、希望を語りました。希望というのは、神様を知っている人が語るべきことなのです。預言者エレミヤは、人々がバビロンに連れて行かれて絶望に暮れていたとき、初めて希望について語り始めました。
「わたしは、あなたたちのために立てた計画をよく心に留めている、と主は言われる。それは平和の計画であって、災いの計画ではない。将来と希望を与えるものである。」
将来と希望は生ける神から来る。今、パウロは同じ望みをもって将来に向かって進んでいます。第二の出エジプトとして、ローマを目指しています。
「彼は望み得ないのに、なおも望みつつ、信じた。」
「為ん方つくれども望みを失わず。」
同じ望みは、私たちにも与えられています。まことの希望は神様から来る。だから、希望を失わないで歩みましょう。
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