聖書:使徒言行録6章8~15節

説教:佐藤  誠司 牧師

「最高法院の席に着いていた者は皆、ステファノに注目したが、その顔はさながら天使のように見えた。」 (使徒言行録6章15節)

 

キリスト教会で最初の殉教者となった人物がいます。ステファノという人物です。以前の口語訳聖書に親しんで来られた方なら「ステパノ」と言ったほうが馴染みが良いかも知れません。で、そのステファノが最初の殉教者となったのですが、最初のというのは、あとに続く人々がいたということです。実際このあと、ペトロが、パウロが殉教の死を遂げていきますし、名も無い奴隷身分のキリスト者たちが大勢、その信仰の故に殺されていきました。この人々のすべてに共通するのは、何であったでしょうか。それは主イエスが共にいてくださることを、心から信じたことです。そして、主イエスの次のお言葉を信じたことでした。

「体は殺しても、魂を殺すことの出来ない者どもを恐れるな。むしろ、魂も体も地獄で滅ぼすことの出来る方を恐れなさい。」

ステファノという名前を聞いて、おそらく欧米のキリスト者なら、すぐに、これはユダヤ人らしからぬ名前だなと思うかも知れません。確かに、ステファノはユダヤ人ではありますが、ステファノという名前はギリシア風の名前です。どうして、ユダヤ人なのに、ギリシア語の名前を持っていたかと言いますと、当時、多くのユダヤ人が本国を離れて、広く地中海世界に散らされて生活していたのです。

彼らは外地にあっても、ユダヤ人としての信仰を守り抜くために、必ずその土地に会堂を建てました。シナゴーグと呼ばれる会堂は、彼らの生活の拠り所だったのです。安息日ごとに会堂で礼拝を守り、そこで説き明かされる聖書の御言葉が、外地で生きる彼らの生きる力となりました。ですから、彼らは神殿での礼拝よりも会堂での礼拝に、より親しみましたし、犠牲を捧げる礼拝よりも御言葉による礼拝を尊びました。しかしながら、いかに会堂礼拝でユダヤ人としての信仰を大事に養っておりましても、周りは皆、ギリシア文化の影響を受けておりますから、彼ら自身も、やはりその影響を受けていくわけです。そして、いつしか、ユダヤの本国にいる人たちとは、ものの考え方や生活習慣に、ずいぶんと違いが生じてきたのです。

そういう人たちが、エルサレムに帰って来て、そこでキリストの福音と出会った。エルサレム教会には、使徒たちを中心とするヘブライ語を話すユダヤ人と、ステファノたちを中心とするギリシア語を話すユダヤ人の二つのグループが、早くも出来つつあったことが伺われます。で、この二つのグループは、いったい、どういうところに違いがあったかと言いますと、やはり律法に対する考え方が違っていたのではないかと思います。ユダヤ本国で育った人たちが、どちらかといえば、律法に違和感なく、律法を守るのはユダヤ人として当然という考え方だったのに対して、外地で育った人々は、律法は守らなくても、キリストの福音を信じるだけで十分ではないかという、律法から自由な考え方をすることが多かったと思います。そして、使徒たちが神殿をその活動の中心にしたのに対して、ステファノたちは会堂を中心に活動したと思われる。それは今日の個所にも、現れています。

8節を見ますと、ステファノが、いかに傑出した伝道者であったかが分かります。彼はエルサレムの、ある会堂で御言葉を説き明かすのを常としていたようです。その会堂は「解放された奴隷の会堂」と呼ばれていたユニークな会堂でありまして、この会堂は昔、奴隷としてローマに連れて行かれた人々が後に解放されて、エルサレムに帰り、自分たちの会堂を建てたことから、その名が付けられた、そういういきさつのある会堂ですから、外地から帰って来た人々が、よくここに集まっていたのです。ステファノは、この会堂で伝道を開始したものと思われます。すると、キレネとアレクサンドリア出身の人々や、キリキア州やアジア州出身の人々が立ち上がってステファノと議論したと書いてあります。

ところが、ステファノは知恵と霊によって語ったので、彼らは全く歯が立たなかったと言います。ステファノとしては、同じくギリシア語を話す同胞に対して、キリストの福音を熱心に語ったのでしょう。ところが、ギリシア風の弁論のやり方というのは、どちらかと言うと、相手の心に訴えかけるというよりも、相手を論破するやり方です。説教というより、議論なのです。ステファノも、相手がそういうことに慣れ親しんだ人たちなので、キリストの福音を語りつつも、いつしか論争めいた強い語調になっていたのかも知れません。

論破された人々は、どう思ったか。私たちにも、そういうところはありますが、論破されて納得する人は、まず、いません。いや、納得まではするかも知れませんが、心から喜んで聞き従うということは、起こらないでしょう。むしろ、正論によって論破されればされるほど、相手への敵意が芽生えてくる。そういうものではないでしょうか。

ステファノの場合が、まさに、そうでした。ステファノに論破された人々は嫉妬のあまり、人々をそそのかして、デマを流させます。そのデマの中身が11節に記されています。

「わたしたちは、あの男がモーセと神を冒涜する言葉を吐くのを聞いた。」

デマというのは、平たく言えばウソのことなのですが、誰が聞いてもウソだと分かるものはデマとは言いません。どこか真実らしいウソというのがデマのデマたる所以です。ここの場合もそうでありまして、人々がこのデマを聞いて、あのステファノなら言いそうなことだと納得するようなことを彼らは言ったのです。すなわち、あの男はモーセをないがしろにしておる、と言った。このモーセというのは律法のことです。そして神を冒涜しておると、彼らは言った。この神というのは、神殿のことです。このデマの中に、エルサレムの人々がステファノをどう見ていたのかが、示されていると思います。人々はステファノの優れた弁論と働きは認めながらも、あの男は律法を軽んじているではないか、あの男はちっとも神殿礼拝に行かないではないかと、心の底で思っていたのです。

そして、ステファノに論破された人々は、さらに民衆、長老たち、律法学者たちを扇動してステファノを捕らえ、最高法院に連行します。そして偽証人を立てて、次のように訴えさせたのです。

「この男は、この聖なる場所と律法をけなして、一向に止めようとしません。わたしたちは、彼がこう言っているのを聞いています。『あのナザレの人イエスは、この場所を破壊し、モーセが我々に伝えた慣習を変えるだろう。』」

ここでもステファノは、神殿と律法をないがしろにしたと訴えられています。これを見ても、いかに当時のキリスト者が、神殿と律法を尊ばない輩だと思われていたかが、分かります。

ステファノは圧倒的に不利な立場に立たされているわけです。その意味ではステファノの命は風前の灯も同様です。ところが、ここでルカは、意外なことを記しています。15節です。

「最高法院の席に着いていた者は皆、ステファノに注目したが、その顔はさながら天使のように見えた。」

最高法院の人々がステファノの顔を見たら、それはさながら天使のように見えたというのです。最高法院の人々が、そのように見たというのです。最高法院の人々といえば、今まさにステファノを裁こうとしている人たちですね。その人たちがステファノを見たら天使のように見えたというのです。これはただごとではありません。これは、どういう意味なのでしょうか? これはステファノの顔が天使に似ていたということではないですね。そういうレベルのことをルカは言っているのではありません。天使というのは、神の言葉、神のご計画を、神から遣わされて人々に告げる存在です。最高法院の人々がステファノを見たら、それはさながら天使のように見えたというのは、ほかでもない、最高法院の人々すら、ステファノが神から遣わされて、神の言葉を語っている人物だと、そう思ったということです。

ところが、ステファノは神から遣わされて、神の言葉を語っていると思った最高法院の人々が、結局のところ、ステファノを殺してしまいます。どうしてなのでしょうか? ステファノのような男が神の言葉を語っているのが気に食わないのです。逆に言いますと、神様がステファノのような男にご自分の言葉を託しておられるのが気に入らないのです。そして、ステファノを殺してしまいます。

これはイスラエルの歴史の中で繰り返し起こった預言者殺しと全く同じです。人々は、預言者を見て、これは神から遣わされている人物だと分かるのです。この男が語っているのは、彼自身の言葉ではなく、神の言葉なんだと、そこまでは分かる。しかし、それが気に入らない。なぜか? 神様がこんな男を用いておられるのが気に食わないのです。そこで人々は寄ってたかって預言者を殺しました。いや、正確に言えば、預言者が語る神の言葉を殺したのです。

エレミヤ書の第1章に、若者エレミヤが神様によって預言者に立てられる場面があります。私は、ステファノの物語を読みますとき、いつもエレミヤのことが頭に浮かびます。エレミヤも神の言葉を語り続けて、最後は殺されていくのですが、その語る言葉がステファノもエレミヤも、じつに激しいものでした。しかし、それは彼らが考えた言葉ではない。神様が語れとお命じになったことです。それを彼らは語らざるを得なかった。どうしてでしょうか?

エレミヤが神様のお言葉として語っていることですが、こういう言葉があるのです。

「粘土が陶工の手の中にあるように、あなたがたはわたしの手の中にある。」

陶工というのは陶器を作る職人のことです。その陶工が粘土を手の中に持っているように、あなたがたは神の手の中にある、というのです。エレミヤはあるとき、神様に促されて、陶器を作る職人のところに行きます。陶工が粘土を手に持ってこねている。すると、職人は何か器を作っているうちに、出来損なったものですから、ぎゅっとつぶして、別の器を作り始めたのです。それをエレミヤが見ているときに、あの御言葉が語られたのです。

「粘土が陶工の手の中にあるように、あなたがたはわたしの手の中にある。」

エレミヤは愕然とします。陶器職人が主人公なのです。粘土は主人公ではない。粘土が何を言おうと、陶器職人は自分が作ろうと思ったものを作る。陶器職人の手の中にある粘土というのは、全くその陶器職人の手に握られている。これは、ある意味で恐ろしい言葉であると思います。全く自分の中に主体性が無いと言いますか、自分というものを主張することが出来ない。神様が全能の力を持って私の運命を握っておられる。そういうふうに考えると、これは恐ろしいことです。

けれども、エレミヤは、これをそういう、何か運命論的な、もうどんなことをしても駄目だ、人生はもう神様のお考えになるようにしかならないのだという、そういう諦めでこれを言っているのではないのです。この私たちを陶器職人が粘土を握るように手の内に握っておられるお方は、いったい、どういうお方か。それは私たちを限りなく愛しておられるお方なのだと、そういうことをエレミヤは信じて、この言葉を言っている。そのときに、エレミヤは、信仰の本質を見た。そして、神を信じて生きるということの本質を掴むのです。神を信じて生きるとは、この陶器職人と粘土の関係の中に自分を見出して、そのとおりに生きることです。エレミヤやステファノという人たちは、そういう生き方を見いだした人たちなのです。

私たちは自分の信仰生活を振り返って見ますと、何かやはり自分というものを中心にして信仰生活をしているのではないかと思います。自分が陶器職人になって、神様を粘土にして、自分が気に入る形へと神様を造り替えてしまう。しかし、本当はそうではないですね。神様が私の人生を手の中に持っていてくださる。神様が私を召して、神様のご計画の中に大事な御用をさせてくださっている。それが私の人生なのだと分かったときに、私たちの人生を見る目は変わってくるのではないでしょうか。

よく私たちは「使命」という言葉を使います。これこれが私の使命だというふうに使います。それに対して「召命」という言葉があります。使命と召命。なんだか似ていますが、使命という言葉は一般社会でも使いますが、召命という言葉は一般の人はほとんど使わないでしょう? 何が違うかと言いますと、使命というのは、私たちがなすべき事柄、あるいはなそうとしている事柄を中心にしている考え方なのです。だから「これが私の使命だ」と言えるわけです。ところが、召命というのは、そういう事柄よりも、私を召してくださった「神様との関係」を重視している。神様が私を呼び出して、このことをお命じになった。あの詩編23編に「たとい私は死の陰の谷を行くときも、災いを恐れません。あなたが私と共にいてくださる」という御言葉がありますね。たとえ死の陰の谷を歩むような人生を歩いていても、あなたが私と共にいてくださる。私を召し、私をここに遣わしてくださったあなたが共にいてくださる。だから、災いを恐れない。これは召された者だけが知る生き方です。ステファノやエレミヤは、この生き方を見いだしたのです。

私たちは召命というと、牧師や昔の預言者だけのことのように思ってしまいますが、じつはそうではない。パウロはエフェソの教会の人たちに「召されたその召しにふさわしく歩みなさい」と言いました。何も牧師や預言者だけのことではないのです。キリスト者というのは、皆、一人一人、異なった召命を受けて「こういう人生を歩みなさい」と言われて、新しい人生を受け取った人のことです。その人生を生きる中で、ああ、神様が共にいてくださるとは、こういうことなのだなあと、だんだんと分かっていく。ああ、私の人生は、陶器職人の手の中にある粘土のように、神様が手の内に握っていてくださる。そのことに目が開かれるときに、ステファノが恐れることなく、神様の言葉を語ったように、私たちも神の恵みというものを証しすることが出来るようになる。それが私たちの本当の生き方だと思うのです。そういう歩みに、この礼拝から一歩、踏み出しましょう。