聖書:イザヤ書52章13~15節・マルコによる福音書15章21~32節
説教:佐藤 誠司 牧師
「そこへ、アレクサンドロとルフォスとの父でシモンというキレネ人が、田舎から出て来て通りかかったので、兵士たちはイエスの十字架を無理に担がせた。そして、イエスをゴルゴタという所―その意味は『されこうべの場所』―に連れて行った。」(マルコによる福音書15章21~22節)
今日はマルコ福音書が伝える主の十字架の物語を読みました。今日の個所には主の十字架と共に歩んだ一人の人物が登場します。その人の名はキレネ人シモン。この人は今日の物語が伝えるエピソードによって、大変有名になりました。主イエスの十字架を、一時的にではありますが、彼が代わって背負ったのです。そして、マルコは特に記してはいないのですが、女性たちの存在を忘れてはならないと思います。この女性たちの多くは、ガリラヤからずっと主イエスに従って来た人たちです。彼女たちは嘆き悲しみながら、主イエスのあとをついて行ったのです。ペトロを初めとする男の弟子たちは皆、主イエスを見捨てて逃げ去っていましたから、彼女たちが主イエスのもとを離れず、十字架の立つゴルゴタまでずっと付き従って歩んだことは、やはり私たちが心に留めておくべきことだと思います。
さて、キレネ人シモンですが、キレネというのは北アフリカにある地名です。ですから、シモンのことをよく肌の黒いアフリカ系の人のように理解する方があるのですが、必ずしもそうではない。なぜなら、この「シモン」という名は典型的なユダヤ人男性の名前です。そういえば、ペトロの本名もシモンです。キレネ人シモンはアフリカの人ではないのです。おそらく、彼はディアスポラのユダヤ人だったのでしょう。ディアスポラというのは、ユダヤの本国を遠く離れて地中海世界に広く散らされていたユダヤ人のことでして、彼らはパレスチナから遠く離れた異国の地にあって、独自のユダヤ人社会を形成していたのです。
この人々が何よりの楽しみにしていたのが過越しの祭りのためにエルサレム巡礼に行くことでした。おそらく、シモンも、その巡礼の一員としてここエルサレムにやって来たのでしょう。すると、町全体が異様な雰囲気に包まれている。聞くと、人々を扇動した罪でイエスという人が十字架刑に処せられるという。物見高い町の人々は、すでに裁判から見物に出かけている。ピラトの官邸から怒号のような叫び声が続けざまに聞こえてくる。シモンも、その声の方向に向かったのでしょう。すると、ピラトの官邸から町の門に続く道はすでに大勢の人だかりが出来ている。シモンもその中に入りました。好奇心が彼を掻き立てたのです。
ところが、ここからシモンは、予想もしなかった出会いを遂げていきます。彼の目の前を、十字架を背負う一人の人が通りかかった。鞭打たれて、傷だらけになった両肩で十字架を背負って歩んでいる。その人が、とうとう力尽きて、倒れてしまったのです。
その時、シモンは突然、首根っこを捕まれた。ローマの兵隊がシモンを引っ張って行った。そして、十字架が背負えなくなってへたばってしまったイエスの十字架をシモンに背負わせたのです。シモンが主イエスに同情したから、十字架を背負ったのではありません。十字架の意味が分かっていたからでもありません。犠牲的精神があったからでもない。ただ無理やり、有無を言わせず背負わされた。強いられたに過ぎないのです。しかも、たまたま、そこに居合わせたから。たまたま、ローマの兵隊の目に留まったから。たまたま、シモンが十字架の重みに耐えられそうに見えたからです。シモンは屈強な男だったのかも知れません。従って、シモンが主イエスの十字架を背負ったのは、「無理やり」と「たまたま」の不思議な連結による偶然の出来事だと言えるかも知れません。
しかし、本当にそうであろうかと思います。無理やりであったのは確かでしょう。しかし、たまたま、偶然というのは果たして当たっているでしょか。振り返りますと、私たちの人生にも、これは偶然だ、たまたま起こったことなのだと思えることがたくさんあります。
しかし、それは私たちが「偶然」というレッテルを貼っているだけの話であって、本当はその背後に見えない力が働いているのではないかと私は思います。私たちは説明のつかないこと、訳の分からないことを「偶然」と呼びます。いとも容易に「偶然」と呼ぶ。しかし、それは私たちから見た偶然であって、ひょっとしてそれは本当は偶然ではなく、必然であったのかも知れない。
シモンの場合もそうではなかったかと思います。シモンが偶然、エルサレム巡礼を思い立った。それは偶然、主イエスの裁判の日であった。そして偶然、十字架を背負いきれずに倒れ付す主イエスと出会ってしまった。偶然そこに居合わせたシモンの首根っこをローマの兵隊が捕まえて、主イエスの十字架を背負わせた。そこまでは確かに偶然の積み重ねのようにも見える。
しかし、偶然という言葉は、神の導きに対する人間側のはかない抵抗ではないかと私は思う。偶然だ偶然だと思っていたことが、じつはそうではなくて、知らないうちに、大きな流れの中に織り込まれていた。知らず知らず、導きの中に移されていた。私たちも、そうではなかったでしょうか? シモンも、じつは、その一人だったのです。
そもそも、なぜ、共観福音書と呼ばれるマタイ、マルコ、ルカの福音書が口を揃えてシモンの物語を語っているのでしょう? それは、このシモンという人が、その後、死ぬまで語り続けた、ある言葉による。果たしてシモンは何を語り続けたのでしょうか? この私が主イエスの十字架を身代わりになって背負ったのだと語ったのでしょうか? そうではありません。もし仮に、彼がそう語ったとしたら、それは単なる手柄話にしかならなかったでしょう。しかし、シモンは、そういうことは語らなかった。彼は、自分が主イエスの十字架を背負ったということは、一切語らなかったでしょう。
では、彼は何を語ったのか? 確かにシモンは、ローマ兵に首根っこを捕まれて、無理やり、主イエスの十字架を背負わされました。耐え難い重みと苦しみを、シモンは味わったに違いありません。しかし、それは一時的なことでした。彼に耐え難い苦しみをもたらした十字架は、やがてシモンの背から取り去られて、再び主イエスの両肩に置かれたのです。そして、主イエスは十字架を背負って、一歩一歩、歩んで行かれた。シモンをそこに残して、歩んで行かれた。その背中を、シモンは見た。十字架を背負う主イエスの背中をシモンは見たのです。
そのとき、シモンは事の真相をハッキリ見たと思います。このイエスというお方が背負っておられるのは、ほかでもない、私が背負いきれないでいた罪の重荷ではないかと、その一点に思いが至ったそのとき、彼は目が開かれた。今の今まで偶然にしか見えなかった事柄が、全部つながってきて、それらがすべて、この出会いのために備えられた導きであったのだと目が開かれた。
そのとき、主イエスは振り向かれた。シモンのすぐ後ろに、婦人たちが付き従っていた。その婦人たちを、主イエスは振り向かれたのです。当然、シモンも、振り向かれた主イエスの顔を見たでしょうし、語られた言葉を聞いたでしょう。これはルカ福音書が伝えていることですが、主イエスは婦人たちに、こう言われたのです。
「エルサレムの娘たち、わたしのために泣くな。むしろ、自分と自分の子供たちのために泣け。」
不思議な言葉でしょう? さあ、主イエスは何を言っておられるのでしょうか? この婦人たちの多くは、ガリラヤからずっと主イエスに従って来た女性たちでしょう。彼女たちは、過酷な旅の中にあって、主イエスや弟子たちの身の回りの世話を喜んで引き受けた。その奉仕の合間に主の御言葉を聞くのが何よりの支えだった。主の御言葉に支えられ、励まされて、主と共に歩んだのです。
その婦人たちが声を上げて泣いている、泣きながら、どうしても、主イエスから離れることが出来ずに付いて来ている。男の弟子たちは皆、ここにいない。皆、恐怖のあまり、主イエスを見捨てて逃げたのですが、彼女たちは、そうはしなかった、というより、主イエスを見捨てて逃げるなどということは、彼女たちには出来ないことだったのです。そんな彼女たちが、泣きながら主イエスのあとをついて来ている。彼女たちに、主イエスは「私のために泣くな、むしろ、自分と自分の子供たちのために泣け」と言われる。それはどういう意味なのでしょうか? これは「泣くな」と言っておられるのではありません。あなたがたは何のために泣いているのか、と問うておられるのです。
彼女たちの涙。それは十字架を背負う主イエスの姿を見て「おかわいそうに」「おいたわしい」という思いが涙を溢れさせている。確かにこれは、純粋な愛に根ざした涙かも知れません。しかし、「おかわいそうに」と言って流す涙は、詰まるところ、他人事なのです。しかし、主の十字架は他人事であることを許しません。
主イエスはどうして「私のために泣くな」と言われたのでしょうか。この問いのヒントとなるお話が、ヨハネ福音書の復活の物語に出て来ます。マグダラのマリアが主イエスの墓の前で涙を流します。そこへ復活の主イエスが姿を現して声をかけてくださるのですが、マリアの目は涙で雲っていて、それが主イエスであるとは分からない。涙は、私たちの目を曇らせるものなのかも知れません。このときの、婦人たちの涙も、そうではなかったかと思います。彼女たちの目の前に、十字架を背負う主イエスの姿が見えていたはずです。しかし、その目は涙で雲っていました。涙で曇った目には、上辺は見えていても、事の真相は見えません。「おかわいそうなイエス様」しか見えないのです。
それに対して、シモンは事の真相を見た。自分が主イエスの十字架を背負ったのではなく、主イエスが私が背負いきれない罪を背負って歩まれたことを、彼は見て取りました。ところが、婦人たちはそれが目の前で起こっているのに、見えてはいない。「ああ、イエス様、おかわいそうに」と悲嘆に暮れるだけで、事の真相が見えないのです。そんな彼女たちに主イエスはおっしゃった。「私のために泣くのではなく、自分のために泣け」とおっしゃった、それはどういうことなのでしょうか?
自分のために泣くとは、どういうことでしょうか? 自分の愚かさ、罪深さに涙することでしょうか? 確かに、そういう涙もあるでしょう。しかし、人の心が溢れさせる涙には、様々な涙があるでしょう。
皆さんは、こういう経験はなさいませんでしたか? 信仰が与えられる前には決して流すことの無かった涙というものがありませんか? 信仰が無かったときには、知らなかった涙です。不覚にも、礼拝の中で人の目も憚らずに流した涙です。牧師が語る説教に心奮わせたのかも知れませんし、讃美歌が心に沁みたのかも知れません。しかし、それだけではない。しかも、それらを否定することなく、むしろ大きく包み込んで、さらに有り余る暖かい涙があったと思うのです。それは罪赦されたことを知った感謝の涙であり、悔い改めの涙です。主イエスの十字架の贖いによって、自分の罪が全部赦されている。救われた者として生きていける。主イエスがそのために十字架を背負ってくださった。そのことに目が開かれたとき、初めて信仰が与えられた。その時に、感謝の心が溢れさせる涙であったと思います。
主イエスは「私のために泣くな、むしろ、自分のために泣け」と言われました。不思議な言葉ですが、シモンはその意味を知りました。私があの方の十字架を背負ったのではない。あのお方が私の罪を全部背負って十字架についてくださった。そのことが分かったとき、シモンは主イエスのお言葉の意味を悟ったのです。自分のために泣くとは、救われた者として生きなさい。新しい人生を受け取って生きなさいということだったのです。そして、これが福音の本質を形成していきます。
福音の本質を摑み取ったシモンは、その後、どうなったでしょうか。なんと彼は妻と共に導かれて洗礼を受け、やがてローマへと導かれ、ローマ教会の一員となります。そして、そこで彼はペトロと出会うのです。そしてこの二人が語る主イエス像が、一つの書物として実を結びます。それが「十字架の福音書」の異名を持つマルコによる福音書だったのです。二人のシモンが死ぬまで語り続けたこと。それは、主の十字架こそ我が救い、我が支え、我が助けという一点にほかなりません。私たちにとっても、それは同じです。主の十字架こそ我が救い。これだけは誰が何と言おうが、礼拝のたびに繰り返し語り、聞き取るべき福音のメッセージであると思うのです。
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以下は本日のサンプル
愛する皆様
おはようございます。今日一日が主の祝福の内にあることを願い、今日の御言葉を配信します。
11月19日(日)のみことば(ローズンゲン)
「荒れ野よ、荒れ地よ、喜び躍れ。砂漠よ、喜び、花を咲かせよ。」(旧約聖書:イザヤ書35章1節)
「それから、“霊”はイエスを荒れ野に送り出した。イエスは四十日間、そこにとどまり、サタンから誘惑を受けられた。その間、野獣と一緒におられたが、天使たちが仕えていた。」(新約聖書:マルコ福音書1章12~13節)
今日の新約の御言葉で、私たちが明らかにしておかなければならないのは「荒れ野」とは何かということです。私たち日本人は、聖書が言う荒れ野を知りません。温暖で、雨の多い日本に住んでおりますと、聖書の世界に出て来る荒れ野というものが、いかに厳しい気候の土地であるか、想像することさえ難しくなります。人が住むことはおろか、人が近づくことすら拒むような、厳しい土地なのです。ところが、マルコ福音書が用いました、この「荒れ野」という言葉には、そういう自然のどこかの場所という意味のほかに、もう一つ、隠された意味がある。それは意外に思われるかも知れませんが、人の心についても使われる言葉なのです。
荒れ野のような心とは、どのような心なのでしょうか。この「荒れ野」という言葉には、もう一つ、「捨てられる」という意味があります。そういえば「砂漠」を意味するデザートという英単語も、もとは「捨てられた」という意味から生まれた言葉です。自然の土地も、人の心も、捨てられるから荒れる。誰も訪れないから荒むのです。そうしますと、主イエスが荒れ野に来てくださった、というのは、二重の意味を持つことになります。文字通りの荒れた土地、砂漠のような荒地に来てくださったというのが第一の意味です。そして、人々に見捨てられ、荒れ荒んだ人の心に来てくださったということです。これは主イエスの地上の歩みの最後まで続くことです。