聖書:使徒言行録7章54節~8章3節

説教:佐藤  誠司 牧師

「ステファノは聖霊に満たされ、天を見つめ、神の栄光と神の右に立っておられるイエスを見て、『天が開いて、人の子が神の右に立っておられるのが見える』と言った。人々は大声で叫びながら耳を手でふさぎ、ステファノ目がけて一斉に襲いかかり、都の外に引きずり出して石を投げ始めた。証人たちは、自分の着ている物をサウロという若者の足もとに置いた。人々が石を投げつけている間、ステファノは主に呼びかけて、『主イエスよ、わたしの霊をお受けください』と言った。それから、ひざまずいて、『主よ、この罪を彼らに負わせないでください』と大声で叫んだ。ステファノはこう言って、眠りについた。サウロは、ステファノの殺害に賛成していた。」(使徒言行録7章55~8章1節)

「敵であったときでさえ、御子の死によって神と和解させていただいたのであれば、和解させていただいた今は、御子の命によって救われるのはなおさらです。それだけでなく、わたしたちの主イエス・キリストによって、わたしたちは神を誇りとしています。今やこのキリストによって和解させていただいたからです。」(ローマの信徒への手紙5章10~11節)

 

教会というのは、まことに不思議なことだと思うのですが、かけがえのない働き手を失いますと、不思議に、次の働き手が与えられる。そういうところがあります。中でも、ステファノが石打の刑に処せられて殺されたことによって大きな打撃を受けたキリスト教会に、その後を受け継ぐ伝道者としてパウロが立てられていく有様は、人の思いや計画を越えた、まさに奇跡と呼ぶべき道筋であると思います。しかも、ステファノが殺されるとき、パウロは、まだサウロという名前でしたが、彼はステファノの殺害に同意していた。つまり、サウロはステファノに敵対していたのです。そのサウロが、やがてステファノの後を継ぐように立てられていくわけです。神の御業の不思議さを思わないわけにはいきません。

ではステファノとサウロは、どのような人物であったのか? そこを知っておくことが大事になってきます。まずステファノですが、彼はユダヤ人なのですが、ステファノという名前はギリシア風の名前です。どうしてそのようなことが起こるかというと、第6章の1節に、こんなことが書かれていました。

「そのころ、弟子の数が増えてきて、ギリシア語を話すユダヤ人から、ヘブライ語を話すユダヤ人に対して苦情が出た。それは、日々の分配のことで、仲間のやもめたちが軽んじられていたからである。」

食物の分配をめぐって、「ギリシア語を話すユダヤ人」から、「ヘブライ語を話すユダヤ人」へ苦情が出て来たのです。どちらも、同じユダヤ人です。当時、福音はまだ異邦人にはもたらされてはおりませんで、キリスト教会はユダヤ人の内部に収まっていました。

しかしながら、一口にユダヤ人と言っても、本国に生まれ育った人たちと、外国で生活をする人たちでは、ものの考え方や生活習慣において、ずいぶんと違いがあったようです。「ギリシア語を話すユダヤ人」と「ヘブライ語を話すユダヤ人」が、まさにそうでありまして、前者は地中海世界に広く散らされていた人々で、当時のギリシア文化であるヘレニズム文化の影響を色濃く受けていた人々です。この人々はユダヤ人の母国語であるヘブライ語はもはや話すのが苦手になっていて、当時の世界共通語であるギリシア語になじんでおりました。

それに対しまして、「ヘブライ語を話すユダヤ人」というのは、ユダヤの本国に生まれ育った人たちです。この二つのグループの人たちは、同じユダヤ人でありながら、かなり違った気風を持ち、生活習慣やものの考え方にも相違があったと思われます。

しかしながら、この二つのグループの思想上の違いや対立というのは、そういう生活物資の分配に留まるものではなく、やはり律法にまつわるものでしょう。それ以外には考えられません。なぜかと言いますと、食べ物というのが律法と深い関係にあるわけです。律法には厳しい食物規定がありますが、パウロの手紙にも出て来るように、キリスト者は何を食べていいのか、悪いのか。これが後に大変大きな問題になっていくわけです。今、教会内で起こっている食物の分配をめぐるトラブルも、これと関係があったのではないかと思われる。すなわち、食べ物の分配をめぐるトラブルの本質は、配られる食べ物の量が多いか少ないかというようなレベルのものではなくて、この二つのグループの人たちが、律法の食物規定によって、同じ食卓に着けない事態が起きていたことをルカは匂わせているのではないかと思うのです。食卓というのは、キリスト教会の交わりの中心をなすものですから、同じ食卓に着けないことは、すなわち交わりの崩壊を意味します。生まれたばかりの教会に、はやくも、このような抜き差しならない危機が訪れていたわけです。

生まれたばかりのエルサレム教会に、はやくも二つのグループが存在していた。これは衝撃的な事実です。一つはヘブライ語を話すユダヤ人のグループ。彼らは使徒たちをリーダーにしていたようです。ペトロをはじめとする使徒たちは、皆、生前の主イエスを知っています。また使徒たちは主として神殿をその活動の拠点としたようです。律法に対しても違和感なく、それを受け入れ、神殿礼拝も違和感を感ずることなく受け入れていたようです。

それに対して、ギリシア語を話すユダヤ人のグループがあって、彼らのリーダーがステファノたちであったと思われます。この人々は、ユダヤ本国から遠く離れた外地で生活していましたので、神殿礼拝に馴染むことなく、むしろ会堂での礼拝に親しんだようです。

つまり、儀式よりも御言葉による礼拝を尊んだのです。また彼らは律法からも自由な考え方をしていたと思われます。つまり、彼らは神殿とも律法とも距離を置く、自由な考え方の持ち主であって、キリストの福音を信じることによってのみ、人は救われるのだという先鋭的かつ先端的な福音理解をもっていたと思われます。その代表がステファノだったのです。ステファノは律法と神殿をないがしろにした嫌疑をかけられて最高法院に訴えられます。

その最高法院の議員たちに対して、ステファノは弁明の機会を与えられるのですが、そこでステファノが語ったのは自分の無罪を立証しようとする弁明ではなく、堂々たる福音のメッセージだったのです。ステファノはアブラハムから始めて、イスラエルの歴史を概観するような説教を語ります。その説教の最後のほうで、ステファノは神殿について、こう語っています。7章の46節以下です。

「ダビデは神の御心に適い、ヤコブの家のために神の住まいが欲しいと願っていましたが、神のために家を建てたのはソロモンでした。けれども、いと高き方は人の手で造ったようなものにはお住みになりません。」

これはハッキリと神殿を否定する言葉です。ステファノはそこまで語っているのです。まことの神は人が造った神殿に住んでおられるのではなく、聖霊の宮とされた人の中に住まわれる。キリストを信じる我々こそがまことの神殿なのだと、ステファノはそこまで言い切っているのです。そしてステファノは最後に、こう述べています。

「かたくなで、心と耳に割礼を受けていない人たち、あなたがたは、いつも聖霊に逆らっています。あなたがたの先祖が逆らったように、あなたがたもそうしているのです。いったい、あなたがたの先祖が迫害しなかった預言者が、一人でもいたでしょうか。彼らは、正しい方が来られることを預言した人々を殺しました。そして今や、あなたがたがその方を裏切る者、殺す者となった。天使たちを通して律法を受けた者なのに、それを守りませんでした。」

いかがでしょうか。これはもうメッセージというより、捨て身の突撃です。もちろん、ステファノは死を覚悟して、言い切っているのです。これに対して、使徒たちはどうであったかと言うと、使徒たちは主として神殿で御言葉を語りました。それを聞いて祭司たちも信仰を受け入れるようになったのでした。これを見ても、使徒たちを中心とするヘブライ語を話すグループが神殿と親しい関係を保持していたことが分かります。神殿をめぐって、ステファノと使徒たちが対立していたのです。どちらが正しいのでしょうか?

それは主イエスのなさったことを見れば分かります。主イエスはエルサレムの町に入られるとすぐに、神殿から商売人たちを追い払い、「私の家は祈りの家であるべきだ」とおっしゃった。また主イエスはファリサイ派の人々や祭司長たちとも激しく対立された。それを思いますと、主イエスが戦われたその闘いを正当に受け継いでいるのは、使徒たちではなく、むしろステファノではなかったかと思われる。少なくともルカは、そう考えていたのではないかと思われます。

しかし、皆さんの中には、ステファノは、あまりにも先鋭的に真理を語り過ぎているのではないかと思われた方もあるかも知れません。一切の妥協を許さず、真理だけを語っている。これでは説教というより、けんか腰ではないかと、そう思われるかも知れません。確かに、ステファノの語り口は、ペトロなどと比べると、大変に厳しいものがありますね。ペトロも人々に向かって「あなたがたがあのお方を殺してしまったのだ」と厳しいメッセージを語りましたが、ペトロはそれに付け加えて「あなたがたは知らずにあのようなことをしたのであり、あなたがたの指導者たちも、そうであった」と執り成しの言葉を付け加えることを忘れなかった。そうすることによって、ペトロは人々を悔い改めに導こうとしたのです。しかし、ステファノの説教には、そういうところが微塵もありません。真理の刃を鋭くして、相手に挑みかかっているとしか思えない。これでは聞く耳のある人も、敵に回してしまうではないかと、そう思われたかも知れません。

確かに、ステファノは、このあと、人々の怒りと憎悪によって、殺されていきます。しかし、一切の妥協を捨てて、捨て身で真理を語るステファノの言葉を聞いている人物が、ただ一人、いたのです。それがのちにパウロと名乗ることになる若者サウロです。54節から、ルカはステファノが殺されていく有様を語るわけですが、ルカの描き方の凄いところは、ここにサウロを登場させて、サウロに一切の出来事を目撃させていることです。サウロはガマリエルの弟子としてファリサイ派の律法学者であり、忠実なユダヤ教の信仰者です。ですから、このときもサウロはステファノの殺害に賛成していたのです。そしてこのあとも、彼はキリスト者を捕らえては鞭打って投獄をする、そういう活動をしているのです。しかし、そのサウロがステファノの最後の姿を見、ステファノの言葉を聞くのです。ステファノは言いました。

「天が開いて、人の子が神の右に立っておられるのが見える。」

人の子というのは主イエスのことですが、神の右に座しておられる主イエスが、今、立っておられるとステファノは言うのです。立つというのは「招いておられる」ということです。天の窓を開いて、ステファノを招いておられるのです。

人々が一斉にステファノに襲いかかり、彼を都の外に引きずり出し、石を投げ始めます。人々がそうしている間、ステファノは主に呼びかけて「主イエスよ、私の霊をお受けください」と言った。そして最後にステファノはこう言うのです。

「主よ、この罪を彼らに負わせないでください。」

さながら、十字架上の主イエスのような言葉をステファノは死に際して言うのです。その一部始終をサウロは目撃しています。そしてこれが後に彼を突き動かしていくのです。

さて、8章に入りますと、その日のうちにエルサレム教会に対して大迫害が起こったことが記されています。しかし、その迫害はどのようなものだったかと言うと、迫害に遭ってエルサレムを追い出されたのはギリシア語グループの人々であって、使徒たちはそのままエルサレムに留まることが出来たと書いてあります。これを見ますと、この二つの集団が、教会の外から見ても別々のグループであると見られていた様子が窺われます。ユダヤ教側にとって、異端だったのは、あくまでステファノたち、ギリシア語を話すユダヤ人キリスト者であったわけです。

こうして、ギリシア語を話すグループの人々はエルサレムを追放されて、ユダヤ全土へ、またサマリアへと散らされて行きます。しかし、これが福音の世界宣教へと新たな道を開く発端となるのです。そしてそこで用いられていくのがサウロ、のちのパウロなのです。ステファノが埋葬される描写の傍らで、迫害者サウロの姿が記されています。

「サウロは家から家へと押し入って教会を荒らし、男女を問わず引き出して牢へ送っていた。」

「家から家へと押し入って教会を荒らし」と書いてありますね。当時は教会はまだ建物がありませんから、信者の家で礼拝が行われていたのです。そこをサウロは襲って、礼拝の現場を捕らえてはキリスト者たちを牢へ送ったのでしょう。ということは、サウロはキリスト者の礼拝の有様を垣間見ているのです。心からの感謝をささげ、讃美をささげる礼拝の中に、まことに神は共にいてくださる。礼拝者一人一人の中に聖霊が宿ってくださって、一人一人を生きた聖なる神殿にしてくださる。そのことを目撃したサウロは、のちにこう語ります。

「知らないのですか。あなたがたの体は、神からいただいた聖霊が宿ってくださる神殿であり、あなたがたはもはや自分自身のものではないのです。あなたがたは、代価を払って買い取られたのです。だから、自分の体で神の栄光を現しなさい。」

儀式が行われる神殿を完全に否定したステファノの言葉が、ここに豊かに実を結んでいます。パウロはステファノの言葉を忘れてはいなかったのです。そして彼はローマの信徒への手紙の中で、迫害者であった自分を顧みて、こう述べています。

「敵であったときでさえ、御子の死によって神と和解させていただいたのであれば、和解させていただいた今は、御子の命によって救われるのはなおさらです。それだけでなく、わたしたちの主イエス・キリストによって、わたしたちは神を誇りとしています。今やこのキリストによって和解させていただいたからです。」

敵であったときに、捕らえられ、贖われている。これはステファノからパウロへ受け継がれた信仰の秘儀であり、私たちにも向けられた神の大いなる恵みではないでしょうか。敵を赦して御自分のものとしてくださる。それこそが主イエスの十字架の贖いだからです。