聖書:イザヤ書40章27~31節・使徒言行録21章17~26節

説教:佐藤 誠司 牧師

「若者も倦み、疲れ、勇士もつまずき倒れようが、主に望みを置く人は、新たな力を得、鷲のように翼を張って上る。走っても弱ることなく、歩いても疲れない。」(イザヤ書40章27~31節)

「翌日、パウロはわたしたちを連れてヤコブを訪ねたが、そこには長老が皆集まっていた。パウロは挨拶を済ませてから、自分の奉仕を通して神が異邦人の間で行われたことを、詳しく説明した。これを聞いて、人々は皆神を賛美し、パウロに言った。『兄弟よ、ご存知にように、幾万人ものユダヤ人が信者になって、皆熱心に律法を守っています。この人たちがあなたについて聞かされているところによると、あなたは異邦人の間にいる全ユダヤ人に対して、『子供に割礼を施すな。慣習に従うな』と言って、モーセから離れるように教えているとのことです。いったい、どうしたらよいでしょうか。』」(使徒言行録21章18~22節)

 

使徒言行録の学びも、終わりに近づいています。おそらく、著者のルカが頭を悩ませたのは、使徒言行録の終わり方だったと思います。パウロがローマで殺されたというのは、誰もが知っている歴史の事実です。隠すわけにはいきません。

しかし、福音の前進を語る使徒言行録が、はたしてパウロの死で終わって良いものか? いいや、それは出来ない。ルカにとってみれば、それだけは出来ないことです。ならば、どうすれば良いのか。そこでルカが採った手法は、パウロの最後のエルサレム行き辺りから、パウロの死を連想させる描写を繰り返し畳み掛けることでした。それによって、読者にパウロの死のイメージを強く抱かせつつも、最後はパウロの死で終わらない。そういう手法をルカは採ったのです。いかにも語り部のルカらしい巧みな描き方だと思います。

パウロはついにエルサレムに到着します。パウロは自らが基礎を据えた異邦人諸教会からの献金を携え、エルサレム教会に届けに来たのです。しかし、そこにはただならぬ緊張感が漂っています。当時、愛国主義と律法主義が席巻するエルサレムにあって、エルサレム教会は急速に律法主義に傾き、律法を遵守する気風を養っていました。そうでなければ、ここエルサレムでは生き残れなかったのです。薄氷を踏む思いでエルサレム教会は、ここエルサレムに存在したのです。そこへ、律法からの自由を説くパウロの異邦人伝道の噂が次々と届くのですから、エルサレム教会としては、心穏やかではありません。エルサレム教会は律法遵守に傾くと同時に、異邦人教会との交わりの門戸を閉ざそうとしていた。より正確に言いますと、エルサレム教会は異邦人伝道は認めつつ、異邦人教会との交わりを事実上断ち切る方向に向かっていたのです。

どういうことかと言いますと、使徒言行録の第15章に記されていたエルサレム会議というのがありましたね。パウロたちの異邦人伝道と律法の問題を解決するために開かれた最初の教会会議です。あの会議で、異邦人伝道は公式に認められたのです。ですから、エルサレム教会も、建前としては異邦人伝道も異邦人教会の存在も認めているのです。

しかし、こういう考え方って、あるでしょう? 異邦人への伝道は結構なことだ。どんどんやったらいい。しかし、異邦人たちと一緒に礼拝するのは正直言って勘弁してほしい。こういう考えは、いつの世にも出て来るものです。エルサレム教会も、そうだったのです。異邦人伝道は認める。異邦人教会の存在も認めます。しかし、異邦人教会と交わりを持つのは、エルサレムの人々の手前、差し控えたい。さあ、パウロたちが携えていった異邦人教会からの献金をエルサレム教会が受け取るか否か。それは単に援助を受けるか否かではなく、エルサレム教会が異邦人教会との交わりに門戸を開くか閉じるかということだったのです。

パウロのエルサレム行きに漂う緊張感は、そういうところに根っこがありました。しかし、実際にエルサレムに到着しますと、「兄弟たちは喜んで迎えてくれた」と書いてあります。長旅をねぎらう言葉が、そこにはあったのでしょう。ところが、翌日、パウロたちがヤコブを訪ねて行くと、様子が違います。「そこには長老が皆集まっていた」と書かれています。つまり、使徒たちが一人もいないのです。パウロは我が目を疑ったに違いありません。このヤコブというのも、使徒ではありません。主イエスの兄弟であったヤコブです。当初のエルサレム教会は、ペトロを初めとする使徒たちが中心になって、主イエスの言葉と業を伝え、それを使徒伝承として、他の教会、異邦人教会にも惜しみなく伝えておりました。なにせ、主イエスのことを直接知っているのは、ペトロを初めとする使徒たちだけですから、彼らが伝える使徒伝承は、まさに教会の生命線だったのです。これについては、パウロが第一コリントの11章23節以下に、次のように述べています。

「わたしがあなたがたに伝えたことは、わたし自身、主から受けたものです。すなわち、主イエスは、渡される夜、パンを取り、感謝の祈りをささげてそれを裂き、『これは、あなたがたのためのわたしの体である。わたしの記念として、このように行いなさい。』」

以下、聖餐の制定の言葉が続くわけですが、この「私自身、主から受けたものです」というのが、使徒伝承なのです。具体的に言えば、パウロはこれをエルサレム教会でペトロたちから受けたものと思われます。それをパウロは「主から受けたもの」と言うわけです。第一コリントの15章でも、パウロは次のように述べています。

「最も大切なこととしてわたしがあなたがたに伝えたのは、わたしも受けたものです。」

これも使徒伝承のことです。ペトロたちから教えてもらったことです。だから使徒伝承は主イエスにまで遡る。まさに教会の生命線だった。パウロが異邦人教会とエルサレム教会の交わりを確保することに、これほどまでに心砕いたのは、まさにエルサレム教会が、この使徒伝承を保持しているからにほかなりません。

ところが、パウロがエルサレムに上って実際に見たエルサレム教会は、どうだったでしょうか? 使徒伝承の担い手であるはずの使徒たちが、姿を消している。少なくとも第15章のエルサレム会議の頃までは、ペトロはエルサレム教会に出入りしていたと見られますが、今やペトロもエルサレム教会に姿を見せることはなくなっていたのかも知れません。使徒たちに代わって長老達が教会の代表になっています。その筆頭が主の兄弟ヤコブだったのです。ヤコブは15章のエルサレム会議でも大きな役割を果たしています。生来、温厚な人柄で、問題が生じたときでも、いたずらに対立に走らず、自ら調停役を果たし得る。そういう、間を取ることの出来る人物であったようです。しかし、それが果たして信仰の問題にふさわしいかどうか。そこが問題なのです。

パウロは長老たちが取り巻く中で、エルサレム教会の変貌を察知したに違いありません。そこでパウロがまず語ったのは、神様の御業でした。19節に、こう書いてあります。

「パウロは挨拶を済ませてから、自分の奉仕を通して神が異邦人の間で行われたことを、詳しく説明した。」

これを読みますと、パウロが大変に注意深く話を進めていることが分かります。パウロは決して自分の働きを前面に押し出すことをせず、むしろ自分の奉仕を通して神様が働いてくださって、異邦人に信仰を与えてくださったことを語っています。聞く者たちが皆、神様を褒め称えるためです。

ということは、パウロは、長老たちのかもし出す雰囲気を察知したその時点で、もはや神学的な議論によって見解の対立を乗り越えることを、諦めていたと思われる。もはや議論によっては、この長老たちとは一致できない。そのことを見て取ったのでしょう。議論ではなく、一致の出来る一点を探り当て、同じ神様がユダヤ人にも異邦人にも恵みを注いでくださった。そのことだけをまず語った。そして互いに神様の御業を讃美することから話し合いを始めようとしたのです。これは懸命な判断であったと思います。案の定、聞いていた人々は、皆、神様を賛美しました。人々は、異邦人たちが信仰に入ったことを、神様の御業であると認めたのです。しかし、続く言葉は、どうであったでしょうか。彼らは、というより、実際はヤコブであったと思いますが、彼はこう言ったのです。

「兄弟よ、ご存知にように、幾万人ものユダヤ人が信者になって、皆熱心に律法を守っています。この人たちがあなたについて聞かされているところによると、あなたは異邦人の間にいる全ユダヤ人に対して、『子供に割礼を施すな。慣習に従うな』と言って、モーセから離れるように教えているとのことです。いったい、どうしたらよいでしょうか。」

エルサレムでは多くのユダヤ人がキリストを信じる信仰に入っている。その人々は皆、熱心に律法を守っている。律法を熱心に守るキリスト教だって、あるのですよ、どうかそれだけは分かっていただきたい、というわけです。これは福音と律法の板ばさみになって苦しんでいるエルサレム教会の本音であったと思います。

しかし、問題は、エルサレムでキリスト者になったユダヤ人たちが耳にしたパウロの噂です。彼らはパウロが異邦人教会に所属するユダヤ人キリスト者に向かって「子供に割礼を施すな、慣習に従うな」と言って、モーセの律法から離れるように教えていると、そういう噂を聞きつけたのです。噂というのは、いつの世にもそうですが、事実の一部が極端に強調されて伝わるものです。それを昔の人は「尾ひれがつく」と呼んだのですが、そのほうが聞く人の興味を引くことになります。伝わり方が早くなる。噂は千里を走るというわけです。

しかし、この噂に示されたパウロに対する批判は、果たして事実に立脚していると言えるでしょうか? まず割礼について言うなら、確かにパウロはキリスト者が割礼を受けることには否定的でした。ガラテヤ書を見ますと、キリストを信じる信仰によって聖霊を受けた異邦人信徒が割礼を受けることを厳しく批判しています。そして「割礼の有無は問題ではなく、愛の実践を伴う信仰こそが大切なのだ」とハッキリ割礼を否定しています。ですから、これらのパウロの発言が間接的にエルサレムに伝えられた場合、「パウロはモーセに背くことを教えている」というふうに受け取られても、やむを得ないことかも知れません。

しかしながら、こういう律法主義批判だけがパウロの思想のすべてではないわけでありまして、第一コリントの9章19節以下に、パウロはこう述べています。

「わたしは、誰に対しても自由な者ですが、すべての人の奴隷になりました。出来るだけ多くの人を得るためです。ユダヤ人に対してはユダヤ人のようになりました。ユダヤ人を得るためです。律法に支配されている人に対しては、律法に支配されている人のようになりました。律法に支配されている人を得るためです。」

これを見ますと、パウロが、ただ頭ごなしに律法を否定したのでないことが分かります。またローマ書を見ますと、福音による自由を与えられているにも関わらず、律法の影響に引っ張られて食物の規定に振り回されている人々のことを「信仰の弱い人たち」と呼んで、これを受け入れることを勧めています。そしてパウロは「キリストはその弱い兄弟のためにも死んでくださったのだ」と、そこまで語っているのです。

あれほど否定的だった割礼にしても、パウロは第一コリントの7章18節で、こう述べています。

「割礼を受けている者が召されたのなら、割礼の跡を無くそうとしてはいけません。割礼を受けていない者が召されたのなら、割礼を受けようとしてはいけません。割礼の有無は問題ではなく、大切なのは、神の掟を守ることです。」

この「神の掟」とは何のことでしょうか? 律法のことでしょうか。違います。愛し合うことです。ユダヤ人キリスト者と異邦人キリスト者が互いに愛し合い、同じ食卓に着く。同じ一つの御言葉に養われ、同じ主の食卓の恵みに与る。これがパウロの本当の願いだったのではないでしょうか。だからこそ、パウロは、先ほどご紹介した第一コリント9章19節のすぐ後で、こう述べているのです。

「弱い人に対しては、弱い人のようになりました。弱い人を得るためです。すべての人に対して、すべてのものになりました。何とかして何人かでも救うためです。福音のためなら、わたしはどんなことでもします。それは、わたしが福音に共に与る者となるためです。」

いかがでしょうか。これがパウロの願いです。福音に共に与る者となるためとパウロは言っておりますね。福音というのは、自分一人だけが与ればそれで良いというものではないのです。共に与るために、祈りがささげられ、伝道がなされていく。その延長線上に出て来るのが「私は福音のためなら、どんなことでもする」という決意です。

福音のためなら、私はどんなことでもします―。この決意が、パウロを、ある行為へと促して行きます。ヤコブがある提案をしたのです。先ほども述べたように、ヤコブという人は、問題が生じたとき、いたずらに対立に走るのではなく、間に入って自らが調停役となる。そういう穏健な人であったといいます。

そのヤコブがパウロに、こう持ちかけてきたのです。

「だから、わたしの言うとおりにしてください。わたしたちの中に誓願を立てた者が四人います。この人たちを連れて行って一緒に身を清めてもらい、彼らのために頭を剃る費用を出してください。そうすれば、あなたについて聞かされていることが根も葉もなく、あなたは律法を守って正しく生活をしている、ということが皆に分かります。」

ヤコブらしい調停的な提案です。ずいぶんと律法主義に偏った提案だと思いますが、果たしてパウロがこの提案を呑んだかどうか。パウロの研究者たちは、否定的です。しかし、私は、先ほどの「ユダヤ人に対しては、ユダヤ人のようになった」というパウロの言葉。「福音のためなら、私はどんなことでもする」というパウロの決意を見るならば、私は、パウロはこれに乗ったと思います。そして、この儀式のために七日の間、神殿にいるうちに、パウロは捕らえられるのです。

しかし、パウロは後悔はしなかったと私は思います。ミレトスの港で、パウロはエフェソ教会の長老たちと別れる際に、こう言っておりました。

「自分の決められた道を走り通し、また、主イエスから頂いた、神の恵みの福音を力強く証しするという任務を果たすことが出来さえすれば、この命すら決して惜しいとは思いません。」

パウロは福音のために生きているのです。ならば、福音のために死ぬことも厭わない。自分の死を通して福音が一歩前進するのであれば、死をも厭わない。パウロはガラテヤ書の中で、こう言いました。

「生きているのは、もはやわたしではありません。キリストがわたしの内に生きておられるのです。」

主が私の中に生きておられる。そのことを信じるのが、主イエスへの信仰です。主イエスへの信仰は他人事ではないのです。私の中に生きておられる主に望みを置くからです。今日はイザヤ書40章の御言葉を読みました。

「若者も倦み、疲れ、勇士もつまずき倒れようが、主に望みを置く人は、新たな力を得、鷲のように翼を張って上る。走っても弱ることなく、歩いても疲れない。」

確かにパウロは捕らわれました。捕らわれてローマに行くのです。しかし、それは捕らわれ人がうなだれて連行されて行くのではない。主に望みを置く人がワシのように翼を張って上る。共に福音に与るために、上って行くのです。

 

 

 

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