聖書:使徒言行録17章16~34節
説教:佐藤 誠司 牧師
「神は果たして地上にお住まいになるでしょうか。天も、天の天もあなたをお納めすることはできません。わたしが建てたこの神殿など、なおふさわしくありません。」(列王記上8章27節)
「パウロは、アレオパゴスの真ん中に立って言った。『アテネの皆さん、あらゆる点において、あなたがたが信仰のあつい方であることを、わたしは認めます。道を歩きながら、あなたがたが拝むいろいろなものを見ていると、『知られざる神に』と刻まれている祭壇さえ見つけたからです。それで、あなたがたが知らずに拝んでいるもの、それをわたしはお知らせしましょう。世界とその中の万物を造られた神が、その方です。この神は天地の主ですから、手で造った神殿などにはお住みになりません。また、何か足りないことでもあるかのように、人の手によって仕えてもらう必要もありません。すべての人に命と息と、その他すべてのものを与えてくださるのは、この神だからです。』」 (使徒言行録17章22~25節)
使徒言行録の続きを読み継いで行きます。キリストの福音が、ついにヨーロッパ世界に渡って行った。それは全く、パウロたちの企てによるのではなく、主の御心でありました。パウロは突き動かされるようにして、小アジアからマケドニアへ渡って行ったのです。そしてマケドニアからギリシアに渡ります。パウロたちの一行は行く先々でシナゴーグと呼ばれた会堂に入って御言葉を語り、信じる人々が現れますが、それと同時に多くの反対者が現れて、パウロたちを町から追い出しにかかります。そして、残していく兄弟姉妹たちに心を残しながら、次の町に追いやられて行く、というのがパウロたちの移動のパターンでした。
このように、パウロたちの伝道は、会堂を足がかりにしていたのです。なぜかと言いますと、会堂にはユダヤ人と神を敬う異邦人が共に集うていたからです。この人々は聖書を知っています。神様を信じている。予備知識があり、御言葉を聞く姿勢も整えられています。
ところが、アテネに来て、それは一変します。確かにパウロは、ここアテネでも安息日には会堂に入って御言葉を語っております。その意味では、これまでと、そう変わりはないとも言えそうです。ところが、アテネでの伝道を描いた16節から34節のうち、会堂について触れているのは、最初の17節だけです。そのほかは、広場での論争とアレオパゴスでの説教が語られて、特にアレオパゴスでの説教がその大部分を占めております。ついに、福音伝道は会堂を出て、新しい局面を迎えたのです。では、どこが新しい局面なのか。今日はそこが要になるのですが、それに触れる前に、少しアテネの町についてお話しておかなければなりません。16節に、こう書いてあります。
「パウロはアテネで二人を待っている間に、この町の至るところに偶像があるのを見て憤慨した。」
パウロはべレアから弟子のシラスとテモテが来るのを待っていたのです。その待っている間に、パウロはアテネの町を見て回ります。すると、至るところに偶像があったのです。ギリシアのアッティカ地方の首都であったアテネは、アッティカの守り神であるアテナに捧げられた町です。アテナは、学問、芸術、知恵の女神であったことから、アテネの町は哲学を初めとする学問や芸術が尊重されておりました。21節に、アテネの人々が知的好奇心を満たすためだけに、時を用いていたことが記されていますが、学問や芸術というのは、暇が無ければ発達しません。学校という意味の「スクール」という言葉は、学校以外にも哲学などの学派という意味に使われますが、このスクールという言葉は、もともと「暇」という意味の古典ギリシア語から生まれた言葉です。ですから、アテネでは暇ゆえに、様々な学問・芸術のスクールが発達したといえます。
そして、このアテネには、三千を超える神々が祭られていたとも言われます。先に述べたように、この町はアテナを祭っているのですが、ギリシアの人々のやり方は、自分の町の守り神を祭るだけではなくて、その関係者と言いますか、関係する神々をも祭って、神々の関係を物語る儀式を行ったのです。こういうところから、当時、アテネは「この町には人よりも神々の数のほうが多い」と言われたほどでした。パウロは、それら夥しい偶像を見て、心に憤慨を覚えたのです。これは偶像礼拝を固く禁じたユダヤ教で育ったパウロにとって、当然のことでした。
さて、パウロは安息日では会堂で御言葉を語りました。しかし、他の日には広場で人々と論じ合ったと書いてあります。論じ合ったという表現は、いかにも白熱した論争を連想させますが、この論争の背後には、やはり夥しい偶像を見て憤慨した、パウロの思いがあったことでしょう。エピクロス派とストア派という実在の哲学の学派の名前が出ていますが、こういう名前が聖書に出て来るのは極めて珍しい、使徒言行録ならではのことです。ここでキリスト教は初めてギリシア哲学と出会います。パウロは彼らに「イエスと復活について福音を告げ知らせていた」と書いてあります。最初から福音の真髄を語ったのです。すると、どういう反応が返って来たでしょうか。
「このおしゃべりは、何を言いたいのだろうか」とか「彼は外国の神々の宣伝をする者らしい」という冷淡な反応しか返って来なかったのです。これは歴史的な事実を映し出しています。ギリシア哲学はキリスト教を全く理解しえなかったし、逆にキリスト教は哲学であることを拒否したのです。その誤解の焦点となったのが、まさに主イエスの復活だったのです。先の反応の中に「外国の神々」というふうに「複数の神」になっていますでしょう?
これ、どういうことかと言いますと、その少し前に「イエスと復活」という表現がありましたね。これ、私たちの感覚から言いますと「イエスの復活」となるべきところを、使徒言行録は敢えて「イエスと復活」と表現しています。つまり、ギリシアの哲学者たちは「イエス」という神と「復活」という神が別々のものなのだという誤解をしてしまったのです。人々は知的好奇心だけでパウロの話を聞いていたからです。パウロの書いた手紙、第一コリントの8章1節に「知識は人を高ぶらせるが、愛は造り上げる」という言葉がありますが、あれなどは、まさにパウロがアテネで経験したことが背景になっているのでしょう。
同じことは、現代の私たちについても言えると思います。聖書のメッセージを知識で聞くことの限界です。日本という国は、キリスト教的な伝統の浅い伝道地ですから、明治時代以来、日本の教会は伝道集会を繰り返し行ってきました。著名な講師を招きました。そして、来てくださった方々を歓迎する。それ自体は悪いことではないのです。
しかし、いつの間にか、日曜日の礼拝までが伝道集会化していったという歴史的経緯が、この国の教会にはあるのです。新しい方を歓迎する心は確かに大切です。しかし、共に神様の前に立たされているという厳しさは希薄になっていないか。神様の御言葉を聞くという峻厳さは希薄になって、いつしか何々先生のお話を聞く会になっている。礼拝そのものに、祈りの要素よりも学びの要素が勝ってきている。そういうことが私たちの中に起こっていなければ幸いだと思います。
さて、パウロの話を誤解した人々は、パウロをアレオパゴスに連れて行きます。なぜ広場ではなく、アレオパゴスに連れて行ったのか? おそらく人々は、こう考えたのでしょう。広場で論じていたのでは埒が明かない。アレオパゴスで正式に語らせて判定を下そう、と、そう人々は考えたのです。
では、そもそも、アレオパゴスとは何であったか? アレオパゴスというのは軍神アレスの丘という意味の名前で、かつて軍神アレスがここで裁かれたという故事に基づいて、こう呼ばれたのです。つまり、アレオパゴスとは、判決を下すことの出来る法廷であり、評議所なのです。さらにアレオパゴスは新しい哲学や宗教が入って来ると、その内容を吟味・審査する機能も備えられていたと言います。従いまして、パウロがアレオパゴスに連れて行かれたのは、単なる哲学的な論議ではなく、パウロの語る福音の内容を吟味する法的尋問の性格があったものと思われます。
さて、22節に「パウロはアレオパゴスの真ん中に立った」と書いてあります。これはまさに歴史的な瞬間です。キリストの福音が会堂を飛び出したのです。これまで、パウロは会堂で御言葉を語りました。会堂を、いわばその町の福音の砦のような足がかりとしたのです。会堂にはユダヤ人と聖書の神を信じる異邦人が共に集います。しかし、アレオパゴスはそうではありません。むしろ、ここには、福音が危険思想ではないかと、鵜の目鷹の目、その内容を吟味し、試しながら聞く人々が集まっています。福音のメッセージが試されながら聞かれる時代が、ここに幕を開けたのです。それはパウロの呼びかけの言葉を見れば、よく分かります。これまで、パウロは、「兄弟たち」という呼びかけの言葉で説教を語り始めておりました。ところが、ここでは、どうでしょう。「アテネの皆さん」。「アテネの皆さん」という呼びかけで、このメッセージは始まっているのです。
「アテネの皆さん、あらゆる点において、あなたがたが信仰のあつい方であることを、わたしは認めます。道を歩きながら、あなたがたが拝むいろいろなものを見ていると、『知られざる神に』と刻まれている祭壇さえ見つけたからです。それで、あなたがたが知らずに拝んでいるもの、それをわたしはお知らせしましょう。世界とその中の万物を造られた神が、その方です。」
夥しい偶像を見て心に憤慨を覚えた、その憤慨を逆手に取って、アテネの人々を責めるのではなく、むしろ、信仰のあつい人々であることをパウロは認めている。そういうところから、パウロは説教を語り始めています。「知られざる神に」と刻まれた祭壇があったというのです。アテネの人々が知らないで拝んでいる神。それこそが、まことの神であり、天地の造り主である神様なのだとパウロは、まず創造主である神様を紹介しています。なぜでしょうか? パウロは続けて、こう語っています。
「この神は天地の主ですから、手で造った神殿などにはお住みになりません。また、何か足りないことでもあるかのように、人の手によって仕えてもらう必要もありません。すべての人に命と息と、その他すべてのものを与えてくださるのは、この神だからです。」
神様は人が手で造った神殿にはお住みにならない。これはユダヤ人なら誰でも知っている、あのソロモン王が神殿奉献の際にささげた祈りによるものです。列王記上の8章に、その祈りが記されています。ソロモン王は神殿すらも神様を納めることは出来ないと言うのです。神様は神殿に住んでおられるのではない。ならば、神殿とは何なのでしょう。神殿とは、神様が、人への憐れみの故に、そこに眼差しを注いでくださるところです。人への慈しみの故に、心を向けてくださるところです。だから、神殿は祈りの家と呼ばれるのです。「私の家は、祈りの家と呼ばれるべきである」というイエス様のお言葉を思い起こします。そして、ここから更に発展したところに「あなたがたが神殿なのだ」というパウロの言葉があるわけです。私たちの中に神様が住んでおられるのではないのです。神様は天におられる。その神様が私たち一人一人を憐れみ、慈しんで、私たちの心に眼差しを注いでくださり、心を向けてくださる。つまり、聖霊を宿してくださって、神様が聖霊として私たちの中に留まってくださる。だから、パウロは「あなたがたは神の神殿なのだ」と言うわけです。
そして、パウロは、アテネの人々をも神様が造ってくださったのだと言います。詩編の100編に「主は私たちを造られた。私たちは主のもの、その民、主に養われる羊の群れ」という御言葉がありますね。「主が私たちを造られた」。これこそが、人類が見いだした最大の絆です。絆という言葉は昨今多くの人が使いますが、人と人とをまことの意味で結び合わせているのは、主が私たちを造ってくださったという創造の御業です。ただ違うのは、パウロはそれに気づいており、アテネの人々は創造主を知らないということだけです。だから、パウロはその方をお知らせしましょうと言うわけです。
だいたい、聖書に出て来る「私たち」という言葉。先ほどの詩編100編などはその典型ですが、これは二人の人を指して言うのではないのです。一人のときは「私」と言い、二人になると「私たち」になる。文法的には誰もがそう考えます。しかし、聖書が言う「私たち」というのは違うのです。二人の人たち、まあ、一組の夫婦としましょう。その夫婦が「私たち」という時、それはこの二人だけのことではなく、二人を結び合わせておられるお方を含めて「私たち」なのです。ただの二人だけですと、偶然人数が二人おるという意味ですが、その二人を結び合わせておられるお方を含めて言う「私たち」は違います。私たちを結んでおられるのは、神様なのだという主張が「私たち」という言葉に、そもそも備わっているのです。
そこから導き出されるのが、29節です。ここでパウロはアテネの人々を責めることなく、偶像礼拝を批判しています。
「わたしたちは神の子孫なのですから、神である方を、人間の技や考えで造った金、銀、石などの像と同じものと考えてはなりません。さて、神はこのような無知な時代を大目に見てくださいましたが、今はどこにいる人でも皆悔い改めるようにと、命じておられます。それは、先にお選びになった一人の方によって、この世を正しく裁く日をお決めになったからです。神はこの方を死者の中から復活させて、すべての人にそのことの確証をお与えになったのです。」
いかがでしょうか。天地の造り主である神から一気に、イエス・キリストの十字架と復活の贖いまでを語っています。これは、人と人とを結び合わせるのは造り主である神のなさることであり、その人々を神様に結び合わせるのはキリストの十字架と復活なのだという主張が、ここにあるからです。だから、キリストにあっては、どんな人でも神様に立ち帰ることが出来る。これがパウロの説教の中心メッセージです。
この説教は、結局、嘲笑され、パウロはそこを去って行ったと書いてあります。現在の聖書解釈でも、パウロのアテネ伝道は失敗であったとするのが常識です。しかし、果たしてそうなのだろうかという思いが抑え切れません。何人かの人がパウロについて行って信仰に入ったと書いてあります。その中にアレオパゴスの議員ディオニシオという人がいます。アレオパゴスの議員とは、裁判所の判事のことです。パウロの言葉を鵜の目鷹の目で詮議していた人が信仰に入ったのです。どうしてでしょうか? もう一度22節を見てみましょう。「パウロはアレオパゴスの真ん中に立った」と書いてありました。この「真ん中」というのは場所的な意味ではありません。真ん中とは「誰もが見ているところ」という意味です。パウロは会堂では教師として講壇に立ちました。会堂に集う人は誰でも、パウロを教師として敬い、その語る御言葉に耳を傾けたのです。ところが、アレオパゴスでは違います。パウロは、ただの人として、丸裸で、誰もが見ているところに立ちました。そのパウロの姿を人々は見たのです。そして議員であるディオニシオは信じました。パウロの言葉を信じたのでしょうか。そうではありません。丸裸になって、命をかけて福音を語っている。そのパウロを生かしておられるお方がおられる。パウロという男はそのお方を信じて生きている。ディオニシオの目はそこに開かれたのでしょう。人は福音を信じる前に、福音によって生きている人を見る。喜んで生きている人を見る。これは、いつの世にも変わらない事実ではないでしょうか。なぜなら、福音にあっては信仰と生活がピタリと重なるからです。
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