聖書:使徒言行録15章36~41節

説教:佐藤  誠司 牧師

「すべての道で主を認めよ。そうすれば、主はあなたの道をまっすぐにされる。」(箴言3章6節・口語訳聖書)

「数日の後、パウロはバルナバに言った。『さあ、前に主の言葉を宣べ伝えたすべての町へもう一度行って、兄弟たちを訪問し、どのようにしているかを見て来ようではないか。』バルナバは、マルコと呼ばれるヨハネも連れて行きたいと思った。しかし、パウロは、前にパンフィリア州で自分たちから離れ、宣教に一緒に行かなかったような者は、連れて行くべきではないと考えた。そこで、意見が激しく衝突し、彼らはついに別行動をとるようになって、バルナバはマルコを連れてキプロス島へ向かって船出したが、一方、パウロはシラスを選び、兄弟たちから主の恵みにゆだねられて、出発した。そして、シリア州やキリキア州を回って教会を力づけた。」(使徒言行録15章36~41節)

 

今、私たちが礼拝で公式の聖書として使っている新共同訳聖書が刊行されたとき、私たちは心躍らせる思いで、それを手にしたものです。聖書の翻訳の背後には、年々目覚しい発展を遂げる聖書学の成果がありますから、聖書の翻訳は基本的に言って、新しいほうが学問的にも信頼が出来るわけです。しかし、そうは言いましても、やっぱり前の口語訳のほうが良かったなと思える個所は、誰の心の中にもあるものです。例えば旧約の箴言の3章6節の御言葉も、その一つです。

「常に主を覚えてあなたの道を歩け。そうすれば、主はあなたの道をまっすぐにしてくださる。」

新共同訳ではこのようになっていますが、これが口語訳聖書では次のようになっておりました。

「すべての道で主を認めよ。そうすれば、主はあなたの道をまっすぐにされる。」

すべての道で主を認めよ、となっていたのです。すべての道。これは含蓄の深い言葉ですね。私の道だけではない。あの人の歩む道にも、この人の歩む道にも主はいてくださる。それを覚えるならば、主はあなたの道をもまっすぐにしてくださる。信仰者にとって、まことに意味深い言葉であると思います。

さて、使徒言行録に戻りますと、15章に描かれたエルサレム会議は福音の世界宣教の上で画期的な分水嶺になりました。この会議は異邦人伝道に積極的なアンティオキア教会の求めに応じて開かれたものですが、それまで異邦人伝道に頑なに心を閉ざしていたエルサレム教会が公に異邦人伝道を認めたことが画期的だったのです。そしてもう一つ画期的だったのは、これが教会と教会の一致を求めての会議だったことです。この会議の成果によって、パウロたちの異邦人伝道は全く新たな局面を迎えることとなったのです。言ってみれば、新たな門出です。

ところが、その門出の、まさに出発点で、出鼻をくじくような出来事が起こりました。これまで心を一つにして異邦人伝道のため、福音の前進のために働いてきたパウロとバルナバが深く対立し、ついに袂を分かつという出来事が起こったのです。パウロはエルサレム会議の結果を踏まえて、バルナバに声をかけました。

「さあ、前に主の言葉を宣べ伝えたすべての町へもう一度行って、兄弟たちを訪問し、どのようにしているかを見て来ようではないか。」

第一回伝道旅行で訪ねた町々をもう一度訪ねて、信仰に入ったばかりの人々の安否を尋ね、励まして来ようとパウロはバルナバを誘ったのです。これにはバルナバも異存は無かったはずです。バルナバも、パウロも、生まれたばかりのキリスト者たちが、異邦人世界の中で信仰を持ち続けることの困難さを、十分承知しておりました。だから、パウロもバルナバも、一日も早く、一刻も早く彼らを訪問して、力付けたい。励ましたいのです。その基本線では彼らは一致できたのです。ところが、彼らは、基本の土台では一致できたのですが、枝葉の部分で対立をした。これは、案外、私たちの間でも、よくあることではないでしょうか。総論では一致するのですが、各論で不一致をして、結局、行動を共に出来なくなってしまうのです。パウロとバルナバが、まさに、そうでした。

では、パウロとバルナバは、いったい、どこで対立したのでしょうか? 37節、38節に、こう書いてあります。

「バルナバは、マルコと呼ばれるヨハネも連れて行きたいと思った。しかし、パウロは、前にパンフィリア州で自分たちから離れ、宣教に一緒に行かなかったような者は、連れて行くべきではないと考えた。」

皆さん、覚えておられるでしょうか。マルコと呼ばれるヨハネという人物。この人は今やエルサレム教会の有望な教師の一人でありまして、12章の12節によりますと、お母さんのマリア共々に、一家を上げて主に仕え、自宅を集会のために開放していたようです。そのヨハネが、パウロとバルナバの第一回伝道旅行に助手として同行したのですが、これは13章の13節に書いてあります。パンフィリア州のペルゲまで来たところで、何を思ったのか、ヨハネは一行と別れてエルサレムに帰ってしまったのです。言ってみれば、伝道の最前線から離脱したと言いますか、隊列を乱してしまったわけです。パウロはそのことを重く見て、そういう人物を今また伝道旅行に連れて行くことは、到底、出来ることではないと考えたのです。

ところが、バルナバは、そうは考えなかった。今一度ヨハネにチャンスを与えようとしたのかも知れません。もし、そうであるならば、これはいかにもバルナバらしいところだと思います。バルナバという名前は、じつは彼の本名ではなく、ニックネームでありまして、「慰めの子」という意味がありました。彼が本名ではなく、そういう愛称で呼ばれていたことに、彼の人柄がよく現れていると思います。バルナバは、人と人の間に入り、間を取ることの出来る人物だったのです。もともとファリサイ派の律法学者としてキリスト者を迫害していたパウロを、エルサレム教会に連れて来て、両者を引き合わせたのがバルナバでした。それまで誰にも相手にされなかったパウロが、これで一躍、キリスト者の仲間入りを果たしたのです。また、アンティオキア教会にパウロを連れて来て、教会の人々に引き合わせたのも、バルナバでした。またエルサレム教会とアンティオキア教会の間で行われたエルサレム会議では、両教会の間を、よく取り持って、穏当な結論に導いた影の功労者はバルナバではなかったかと思われる。

このように、バルナバは、人と人との間をとり、さらに教会と教会の仲介役まで果たし得た。まさに「慰めの子」として、彼は働いたのです。はみ出し者や落ちこぼれた者にも、目をかけ、手を差し伸べて、もう一度チャンスを与えるのが、バルナバ流のやり方なのです。主イエスご自身が脱落したペトロたちをもう一度用いてくださったではないかという思いも、バルナバにはあったと思います。そういうバルナバにとってみれば、ヨハネを一度限りの失敗で見限らずに、もう一度手を差し伸べて、用いてやることは、当然の選択であったと思われます。

また、ヨハネを連れて行くことには、もう一つ、バルナバなりの配慮もあったと思われます。どういうことかと言いますと、ヨハネは今やエルサレム教会の有望な教師になっていたわけでしょう? 何かにつけてラディカルで、異邦人伝道の急先鋒に走りがちなパウロは、ともすれば、エルサレム教会との間に葛藤を生じさせやすかったのです。バルナバが懸念したのは、そこです。そこでパウロが第二回伝道旅行にヨハネを取り立てて同行させれば、パウロとエルサレム教会との間に無用の摩擦を生じさせずに済むのではないかと、バルナバならば、そこまで配慮したことは十分に考えられます。

ということは、逆に言いますと、ここからパウロの人物像が見えてきますね? パウロという人は、バルナバがそこまでの配慮をせずにはおれないほど、純粋でラディカルで、福音のためなら、エルサレム教会との葛藤すら恐れない。そういうところが、やっぱりあったと思うのです。伝道の最前線というのは、信頼関係が無ければ成り立たない。一度でも、その最前線から離脱した者は、伝道の最前線に一緒に立つわけにはいかない。これがパウロの理屈です。さあ、皆さんは、いったい、どちらの考え方に共感を覚えられるでしょうか? おそらく、多くの方は、バルナバの考え方に共感を覚えられるのではないでしょうか? 私も、じつは、そうなのです。私も、一度ダメになったのを、もう一度立たせてもらった口ですから、バルナバのほうに親しみを覚えますし、自分もそうしただろうなと思います。

ところが、福音伝道の歴史を顧みますと、不思議なことに、バルナバの、この温かい行き方は、教会の決定の主流にはなりませんでした。あくまで傍流と言いますか、支流になったに過ぎません。しかし、私は、そこに神様の深い御旨と導きを覚えるのです。確かにパウロは、他のどの使徒にも勝る働きをしましたし、聖書を見れば一目瞭然、じつに多くのパウロの手紙が新約聖書に収められている。パウロは福音伝道の歴史の中で、まさに大河のような存在になりました。しかし、どんなに大きな大河と呼ばれる川でも、本流だけで成り立っているのではありません。大河と呼ばれる川には、必ず支流があり、傍流があるでしょう。支流とは支える流れと書きますね? 傍流とは傍らの流れと書きますでしょう? 支流によって支えられ、傍流が傍らにあってこそ、大河が成り立つのです。パウロの伝道も、そうだったのです。だから、誰を連れて行くかが大事だったのです。

さて、続きを読みますと、どうでしょう? 「意見が激しく衝突し、彼らはついに別行動をとるようになった」と書いてあります。意見の衝突、別行動と聞けば、これはもう穏やかではないですね。これは、この世の目から見れば、対立であり、分裂です。不幸な出来事と言って良いと思います。しかし、著者ルカの語り方は、どうでしょう。終始、穏やかでしょう? 決していきり立ったり意気消沈したりはしていないのです。むしろ落ち着いて、事の次第を語っています。どうしてなのでしょうか? パウロとバルナバが対立し、袂を分かったということは、これまで車の両輪のようにして福音のために働いてきた二人の間に亀裂が生じたということです。それなら一大事のはず。もっといきり立って書いても良さそうなものですが、ルカはそうはしない。淡々と落ち着いて筆を運んでいます。どうしてなのでしょうか?

私は思うに、ルカは事の真相を見抜いていたのではないでしょうか? 意見の対立とか分裂とか聞きますと、これはこの世の目から見たら、確かに不幸な出来事です。悲劇と言っても差し支え無いと思います。

しかし、神様は生きておられる。主は生きて働いておられるのです。教会で起こることは、すべて神様との関わりの中で起こる。主の御手の中で起こるのです。その主がパウロとバルナバの対立さえ用いて、福音伝道の業を、さらに層の厚いものとしてくださったのです。バルナバは対立の焦点となったマルコ・ヨハネを連れてキプロス島に向けて船出しました。一方、パウロはシラスという弟子を連れて、教会の人々から送り出されて出発をしました。二手に道は分かれたわけです。さあ、これを分裂と見るか、福音伝道の道が、また一つ増えたと見るか、それは人様々でしょう。しかし、少なくとも言えることは、使徒言行録を書いたルカは、この出来事を悲劇とは見ていないということです。ルカは、むしろ、福音を伝える道が、また一つ増えたことを、喜んでいるとさえ思えるのです。確かに福音伝道の歴史を語る上では、パウロの働きが本流になりました。バルナバは支流であり、傍流の地位に甘んじなくてはならなかったのです。しかし、バルナバとは「慰めの子」という意味でしたね。目立たない支流であること、わき道である傍流であることを、バルナバという人は、むしろ喜んで受け入れ、引き受けたのではないかと思います。そして、自ら進んで支流の道、傍流の道を歩んで、パウロの働きを影ながら支え続けたのです。いかにも「慰めの子」、バルナバらしい生き方であると思います。

そして、パウロも、これから始まる第二伝道旅行、第三伝道旅行の、行く先々で、バルナバが種を撒いて導いた人たちと出合っていきます。バルナバが基礎を据えた教会の人たちと出合っていくのです。その中で、バルナバという人が、いかに誠実に福音と向き合い、いかに変わらぬ思いで自分の働きを影で支えてくれているかを痛いほど示されていくのです。パウロとバルナバは、これから後、直接会うことは無かったのかも知れません。しかし、それは彼らが絶縁状態であったということではありません。いや、むしろ、あの対立と別れを通して、彼らは互いに尊敬し合い、支え合うことを学んだのではないかと思うのです。

私たちにも経験があると思います。基本的なことでは合意があった、心が通じ合っていたのに、具体的な事柄をめぐって、不本意ながら対立をして、別々の道を歩むことになった、などということは、誰の人生にもあると思うのです。今はもう、分かれ分かれになって、同じ道を行くことは出来ないけれど、分かれる前にも増して、お互いを尊敬している、そういうことはあると思うのです。どうしてでしょうか?

「すべての道で主を認めよ。そうすれば、主はあなたの道をまっすぐにされる。」

初めに読みました箴言第3章の言葉です。口語訳聖書で読んでみました。「すべての道で主を認めよ」と言われています。「すべての道」。この言葉は大変大きな意味を持つ言葉です。私たちもいろんな出来事の中で神様のご計画や御心を認めることがあります。例えば、素晴らしい出会いが備えられていたというようなとき、私たちは「ああ、これは神様が備えてくださったのだ」と言いますね。しかし、何とも我慢のならない出来事、許しがたい出来事が起こったとき、そこに神様の御旨を認めることが出来るでしょうか? そこに主がおられると認めることが、果たして、出来るでしょうか? 私たちは、いとも容易に「これは神様の御業だ」とか「これはそうではない」と自分の好みに合わせて神様を認めたり、認めなかったりしています。そういう私たちの信仰生活に向かって、神様は「すべての道で主を認めよ」と言われるのです。パウロとバルナバが対立をし、別々の道を行かざるを得なくなったとき、さすがのパウロも「これが主の導きだ」とは思えなかったと思います。不承不承、出かけて行ったのかもしれません。しかし、歩んで行くうちに、ああ、我々は別の道を歩んではいるけれど、どの道にも主はおられるのだと分かってくる。パウロも、バルナバも、そう確信するに到ったに違いありません。ああ、私の道に主がおられるように、彼の道にも主はいてくださる。歩む道は別々であっても、同じ主の道を歩んでいる。私たちは主にあって一つ。これが彼らが到達した結論ではなかったでしょうか。そんなパウロが、後に語った言葉があります。ローマの信徒への手紙8章28節の言葉です。

「神を愛する者たち、つまり、ご計画に従って召された者たちには、万事が益となって共に働くということを、わたしたちは知っています。」

いかがでしょうか。あのラディカルで、福音のためなら一切の妥協を許さなかったパウロとは思えないほど、穏やかで赦しに満ちた言葉であると思います。バルナバとの対立と別れを通じて、却って互いの間に尊敬と信頼を取り戻したパウロの言葉です。そしてこれは、私たちのも備えられている言葉でもあると思うのです。私たちも別々の道を歩んでおります。ここで今、一緒に礼拝をしていますが、礼拝とは、それぞれの生活へと続くものです。その生活において、私たちは別の道を歩みます。そのときに大事なのが、この言葉です。万事が益となって共に働く。どうしてでしょうか? すべての道に主がおられるからです。

「すべての道で主を覚えよ。そうすれば、主はあなたの道をまっすぐにされる。」

私の道にも、あの人、この人の道にも同じ主がいてくださる。私たちは主にあって一つなのです。

 


アオモジとトルコききょう

 

 

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