聖書:使徒言行録14章8~20節

説教:佐藤  誠司 牧師

「わたしが奴隷たちの言い分を聞かず、はしための権利を拒んだことは、決してない。もし、あるというなら、神が裁きに立たれるとき、わたしが何をなしえよう。神が調べられるとき、何と答えられよう。わたしを胎内に造ってくださった方が、彼らをもお造りになり、我々は同じ方によって、母の胎に置かれたのだから。」(ヨブ記31章13~15節)

「この神こそ、天と地と海と、そして、その中にあるすべてのものを造られた方です。神は過ぎ去った時代には、すべての国の人が思い思いの道を行くままにしておかれました。しかし、神はご自分のことを証ししないでおられたわけではありません。恵みをくださり、天からの雨を降らせて実りの季節を与え、食物を施して、あなたがたの心を喜びで満たしてくださっているのです。」(使徒言行録14章15~17節)

 

昨年の五月から読み始めた使徒言行録も、いよいよ佳境を迎えております。パウロの伝道旅行が始まったのです。使徒言行録が書かれた目的そのものが福音の世界宣教の有様を描くことですから、パウロの伝道旅行が当然、使徒言行録の眼目になってくるわけです。シリアのアンティオキア教会から送り出されたパウロとバルナバは、行く先々で、まず会堂に入って、そこで伝道を開始しております。

どうして会堂で御言葉を語ったかと言いますと、シナゴーグと呼ばれた会堂には、その地に散らされているユダヤ人のみならず、聖書と出会い、聖書の神を信じるに至った異邦人たちが共に集うていたからです。つまり、会堂で御言葉を語ると、ユダヤ人と異邦人の双方に伝道することが出来たのです。これは効率的です。伝道旅行ですから、パウロたちは次から次へ場所を移動して行かなければなりません。同じ所に長く留まることが、どうしても出来ない。後ろ髪を引かれる思いで、移動して行ったのです。ですから、パウロたちが去ったあとも、人々が信仰に立ち続けるためには、信仰の拠点になる場所がどうしても必要でした。その拠点が会堂だったのです。

それに加えて、もう一つ、パウロたちが会堂での伝道を大事にした理由があると思います。それは、会堂に集まる人々は、ユダヤ人はもちろん、異邦人までも、すべて、十戒を知っていたということです。十戒を知っているか、いないかというのは、じつに大きな違いです。おそらく、これこそが、パウロが伝道旅行で行く先々で会堂で御言葉を語った最も大きな理由であろうと思われます。

ところが、未知の世界に出かけていくわけですから、いつも会堂で語れるわけではありません。むしろ、会堂以外の場所で御言葉を語ることを余儀なくされることも、多々あったと思います。十戒も聖書も知らない人々に、どう御言葉を語ればよいのか。今日の物語が語るのは、まさに、その一点であると思います。

リストラという町での出来事です。この町に、足の不自由な男が座っていたと書いてあります。まあどこかで聞いたようなお話だぞと思われた方もおられると思います。そう、使徒言行録第3章の「美しい門」の物語です。あのときも、足の不自由な男が出て来ておりました。使徒言行録にも、福音書にも、足の不自由な人の物語が出て来ますが、使徒言行録の物語に特徴的なのは、単に足の不自由な人が歩けるようになったというだけでなくて、立ち上がることです。立ち上がって歩くのです。しかも、二人とも踊り上がって立ったと書いてあります。足の不自由な人が自分一人で立ち上がることは出来ません。必ず誰かに支えられて立ち上がる。美しい門の男の場合は、ペトロが手を取って起こしてやりました。しかし、このリストラにいた男の場合、いったい、誰に引き上げられて立ち上がったのでしょうか? パウロは彼を見て「癒されるのにふさわしい信仰があるのを認めた」と書いてあります。詩編の37編に、こんな御言葉があります。

「人は倒れても、打ち捨てられるのではない。主がその手をとらえていてくださる。」

このほかにも、詩編やイザヤ書などの預言書にいくつも出てきますが、「主が手を取ってくださる」というのが聖書の基本的な信仰なのです。主が手を取っていてくださる。だから、人は倒れても立ち上がることが出来る。「虐げられても見捨てられず、打ち倒されても滅ぼされない」というパウロの有名な言葉も、この信仰から生まれてきたものです。ペトロが立ち直ることが出来たのも、この信仰が根底にあったからです。このリストラにいた男が抱いていた望みも、そのようなものであったと思います。主が手を取っていてくださる。だから、彼は躍り上がるようにして立ち上がり、歩くことが出来たのです。

ところが、この様子を見た町の人々が驚くべき反応を見せます。人々は声を張り上げて言います。

「神々が人間の姿をとって、わたしたちのところにお降りになった。」

そしてバルナバを「ゼウス」と呼び、またパウロは話すことに長けた人だったので「ヘルメス」と呼んだのです。ゼウスはギリシア神話の最高の神であり、ヘルメスは雄弁の神です。これだけでも奇妙なことこの上ないのに、その上さらに町の外にあったゼウスの神殿の祭司が雄牛数頭と花輪を持って来て、なんとバルナバとパウロの前にささげようとしたのです。

どうしてこのような展開になるのかと言うと、このリストラの町には、こんな言い伝えが残っていたのです。昔々のこと。ゼウスとヘルメスが旅人の姿をとってこの町にやって来たとき、町の人々はこの見知らぬ旅人をもてなすことも敬うこともせずに、冷たくあしらって町から追い出してしまった。神々はこれを怒りまして、この町を洪水で滅ぼしてしまったという言い伝えが、このリストラの町に残っていたのです。

この伝説を心に留めて考えますと、人々がとった行為も、なんとなく納得できるかも知れません。人々は、力ある業を行うパウロたちを見て、これはきっとゼウスとヘルメスがまたもや旅人に身をやつしてやって来たに違いないと思い込んだのです。そして、あのときと同じ轍を踏んで、町に災いを招くことが無いようにと、神々にふさわしい敬意を表しようとしたのでしょう。だから犠牲の雄牛を引いてきて、花輪と共に捧げようとしたのです。

しかし、皆さんは、どう思われるでしょう。これは典型的な異教的反応ではないでしょうか? この人々の神についての考え方は、神と人との間に絶対的な隔たりを認めないのです。どういうことかと言いますと、神と人間との隔たりが曖昧なので、偉大な力を発揮する人を見ると、いとも容易に神格化するのです。偉大な力を持つ人が神とあがめられたりするわけです。これは日本でも同様のことがあると思います。若い人たちはご存知ないかも知れませんが、戦中戦前は、模範的な手柄を立てて戦死した兵隊を「軍神」と呼んであがめたりしました。現在でも、優れた技術を持つ外科医のことを「神の手を持つ名医」などと呼んだり、「神業」とか「何とかの神様」などという言い回しも、よく使われます。神と人との間に隔たりが無いのです。だから、立派な人、偉大な人は、いとも容易に神にされてしまう。「祭り上げる」という言い回しは、そこのところを表しているわけです。

それに対して、聖書の世界はどうかと言いますと、聖書は神と人とは絶対的に隔たっていることをまず教えます。これが人間の信仰の土台になっているわけです。神と人とは絶対的な他者なのです。他者だからこそ、先ほども言いましたように「主が手を取っていてくださる」という信仰が生まれるわけです。他者だから、関わりを持ってくださるのです。ですから、聖書の教えですと、たとい人が偉大な力を発揮したとしても、それは、その人が神様だからではなくて、神が彼と共にいてくださるから、共にいて働いてくださるからにほかなりません。だから、栄光は彼にではなく、神に帰されるのです。使徒言行録を読んでいますと、あちこちに「人々は彼の働きのことで神を賛美した」という表現が出て来ることに気付かれると思います。パウロの第一回伝道旅行で言いますと、14章の7節に、こう書いてありますね。

「到着するとすぐ教会の人々を集めて、神が自分たちと共にいて行われたすべてのこと、異邦人に信仰の門を開いてくださったことを報告した。」

自分たちの手柄話をしたのではなく、神が自分たちと共にいて行ってくださったことを報告して、感謝をもって栄光を神に帰したのです。これも神と人とが絶対的な他者であるからにほかなりません。他者と聞きますと、何か他人行儀な印象を持たれるかも知れませんが、他者だからこそ、共にいる、ということが可能になってくるのです。他者だからこそ「私とあなた」の関係が可能なのです。また、パウロの有名な言葉がありますね。

「ところで、わたしたちは、このような宝を土の器に納めています。この並外れて偉大な力が神のものであって、わたしたちから出たものでないことが明らかになるために。」

この言葉も、やはり、神が絶対的な他者であることが前提になって生まれた言葉です。

さて、使徒言行録に戻りますと、キリストの福音が異邦人世界に入って行ったとき、まず経験しなければならなかったのが、これまでにも出て来たように、魔術との戦いであったわけですが、それともう一つ、経験しなければならなかったのが、この種の異教的な神観との戦いです。ですから、パウロたちは、行く先々で「私もあなたがたと同じ人間です」と繰り返し言わなければならなかったのです。ここでもパウロは人々に、こう言っております。

「皆さん、なぜ、こんなことをするのですか。わたしたちも、あなたがたと同じ人間に過ぎません。あなたがたが、このような偶像を離れて、生ける神に立ち帰るように、わたしたちは福音を告げ知らせているのです。」

「あなたがたが生ける神に立ち帰るように」と、パウロは言っております。私は、ここが今日の個所のポイントであろうと思います。なぜかと言いますと、「立ち帰る」という言い方は、聖書独特の言い回しなのですが、これは人が本来の場所、もといた場所に戻って行くことを表す言い方なのです。

ルカ福音書の15章に有名な「放蕩息子」の譬え話があります。父親から遠く離れて放蕩の限りを尽くした息子が、何もかも失った挙句の果てに、やっと我に返って、お父さんのところに帰ろうと決心をしますね? あれが、じつは「立ち帰る」ということなのです。あの息子が本来いた場所。本来いるべき場所は父親の前ですね。そこに帰って行くこと。それが「立ち帰る」ということです。そういう意味のある言葉を、パウロはここで異邦人たちに対して使っているのです。あの放蕩息子はユダヤ人ですから、父なる神の御許が本来の場所だというのは分かるのです。ところが、異邦人たちは、そうではないですね。彼らは父なる神様のことは何も知りません。ところが、パウロは彼ら異邦人についても「立ち帰る」という言葉を使っている。ここが大事な点だと思うのです。つまり、パウロは、異邦人たちに向かって「あなたがたの本来の居場所は父なる神様のところなのですよ」と言っていることになります。だから、パウロの説教は、以下、このように続いていくのです。

「この神こそ、天と地と海と、そして、その中にあるすべてのものを造られた方です。神は過ぎ去った時代には、すべての国の人が思い思いの道を行くままにしておかれました。しかし、神はご自分のことを証ししないでおられたわけではありません。恵みをくださり、天からの雨を降らせて実りの季節を与え、食物を施して、あなたがたの心を喜びで満たしてくださっているのです。」

天地創造のことが言われております。創造主である神様が語られております。すべてのものをお造りになったのが、神様であること。そして、神様はご自分が造られた命あるものを決して放置することなく、恵みを与え、天から雨を降らせ、実りの季節を与えて、命の喜びで満たしてくださったことが語られています。どうしてパウロは異邦人たちに神様を創造主として紹介するのでしょうか? じつは、これは、先ほどの異邦人たちの本来の居場所が父なる神様の前だというパウロの主張と深い関連があります。

ヨブ記の31章13節以下に、こんな言葉があります。

「わたしが奴隷たちの言い分を聞かず、はしための権利を拒んだことは、決してない。もし、あるというなら、神が裁きに立たれるとき、わたしが何をなしえよう。神が調べられるとき、何と答えられよう。わたしを胎内に造ってくださった方が、彼らをもお造りになり、我々は同じ方によって、母の胎に置かれたのだから。」

私は、これは驚くべきことだと思うのですが、ここには、奴隷と自由人の区別の無い人間の本来的な平等が、ハッキリと「神に造られた」ことによって確立されております。これは思想史的に見ても、凄いことだと思うのです。パウロが、異邦人たちに対して「立ち帰る」という言葉を使いました。それは異邦人たちの本来の居場所は神様の前なんだよという主張があったのでした。その聖書的な根拠が創世記の創造物語であったわけです。

このパウロのメッセージは、果たしてリストラの人々に届いたでしょうか? 物語は、ここから意外な展開を見せていきます。人々はパウロの言葉を聞いて、二人に生贄をささげることは、思いとどまったのです。ところが、パウロたちに反対するユダヤ人たちがアンティオキアとイコニオンからやって来て、町の人々を抱き込み、パウロに石を投げつけます。パウロは第二コリントの11章で「石を投げつけられたことが一度あった」と述べていますが、それはこのリストラでの出来事であったわけです。さて、パウロは石を投げつけられて、死んだかに見えました。「町の外に引きずり出した」と書いてあります。古代社会では死体は町の外に出すのが一般的でしたから、人々はパウロが死んだと思ったのです。しかし、弟子たちが周りを取り囲むと、パウロは起き上がって町に入って行ったと書いてあります。さあ、皆さん、お気づきでしょうか? 今日の物語には最初と最後に二度、「起き上がる」という言葉が出て来ました。一人は足の不自由な男が、もう一人は死んだと思われたパウロが、起き上がったのです。どちらも、起き上がれるはずのない人たちです。どうして彼らは起き上がることが出来たのか? 主が手を取っていてくださるからです。主が立ち上がらせてくださるからです。これが聖書の信仰です。絶対他者である神様が共にいてくださる。手を取っていてくださるとは、そういうことです。

さあ、パウロが命をかけて語った福音のメッセージは、人々の心に届いたのでしょうか? つい先ほど、パウロたちを「神だ」と言って、生贄までささげようとした人たちが、ユダヤ人に抱き込まれたとは言え、打って変わってパウロに石を投げつけました。その意味では、多くの人がパウロに敵対したと言えるでしょう。しかし、ここでパウロが語ったのは、会堂ではなく、街中です。言ってみれば路傍伝道と一緒です。路傍伝道というのは不思議です。多くの人が立ち去って生きます。過ぎ去って行きます。しかし、じっと聞いている人が必ずいるものです。いや、聞いているだけではない。見ているのです。路傍伝道に来る人たちは、語られる言葉を聞くだけではない。語っている人の生き方を見るのです。パウロたちが命がけでメッセージを語っている。石を投げつけられても語ることを止めない。その生き方を見て、ああ、パウロが神様なのではない。生ける神様がパウロと共にいて、働いておられる。そのことを見て取った人は必ずいたと思う。たった一人であったかも知れません。しかし、その一人のために、神様はパウロをとおして語ってくださる。私たちも、同じようにして救われたのです。主の救いの尊さを思います。まことに感謝すべきことだと思います。

 

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